『激レアさん』が深掘りする昭和芸能史。中尾ミエと“天敵”、研音時代の研ナオコ、平野レミと放送禁止用語
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平野レミを危険視する久米宏「彼女に放送禁止用語なんてない」
最後に登場したのは、平野レミである。
彼女は「料理愛好家」なる肩書きがお馴染みだが、元々はシャンソン歌手だった。しかし、いざ歌手活動を始めると思うような曲を歌わせてもらえず、用意されるのはゴリゴリの歌謡曲ばかりであった(余談だが、LP『およげ!たいやきくん』に収録の「雨もり寺のおしょうさん」は平野による歌唱)。
歌手を引退した彼女はその後、ラジオパーソナリティに転身。TBSアナウンサー時代の久米宏と番組を持つことになった。平野は久米をかなり困らせていたらしい。
「(一般の)おじさんやおばさんがいっぱい来るでしょ? スーパーの前で『おじさんさあ、おまんじゅう好き?』って言うの。でも、『おまん』まで言うと久米さんが『やめろ!』って言って蹴とばすのよ。『何よ、“おまんじゅう”って言ってんでしょ、私は!』って」(平野)
彼女の下ネタ好きは有名である。まるで、松本明子のようなスレスレのエピソードを嬉々として話す平野。実は久米の口からも、平野に手を焼いた過去が明かされていた。以下は、久米の自叙伝『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(世界文化社)から。
「(平野は)放送禁止用語なんて頭の片隅にもなく、思ったら口にする。世の中にこんな人がいるのかと思ったほど彼女との生放送はコワかった。
番組スポンサーは食品会社だった。クイズに当たった人には、その会社の缶詰をプレゼントするのだが、彼女が無邪気に聞いてきた。
『久米さん、この缶詰の中身にベトコンの肉が入ってるってホント~?』
当時はベトナム戦争のまっただなか。米軍に徹底抗戦したベトナム・ゲリラ兵の肉が缶詰に……。生放送である。このときは思わず持っていたマイクで彼女の頭を叩いて、足を蹴とばして、とりあえず黙らせるほかなかった」
そんな久米を介して出会ったイラストレーターの和田誠と、平野は1972年に結婚。出会って10日目で、和田からプロポーズされたそうだ。そして2019年、平野と長年連れ添った和田は逝去した。『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で和田の話題になると、今でも平野は涙ぐむ。一時期は鬱になりかけたとも聞く。そんな彼女が立ち直れたきっかけは、娘たちだ。昨年3月9日、「ウートピ」(https://wotopi.jp/archives/111316)が配信したインタビューで平野は語っている。
「和田さんが死んじゃって、心の支えがなくなっちゃって……。和田さんとすごい仲良しだった黒柳徹子さんに、『私はどうしたらいいんでしょう?』って相談したら、『和田さんに愛されたこと、レミちゃんが和田さんを愛したことをずっと思ってればいいじゃないの』って言ってくれたの。でもやっぱり私、思い出がつかめなくて……。
(中略)そのあと、息子(「TRICERATOPS」の和田唱)と(上野)樹里ちゃんと一緒にご飯を食べに行ったの。『思い出を大事にしろって言ったって、つかむものがなくて悲しいし、本当に心の支えがない』ってつぶやいたら、樹里ちゃんが、『唱さん、手を出して。ほら、レミさんとしっかり握って』って。それで、息子と手を握らされちゃったの。
(中略)そのときに、ちゃんとつかめる思い出があったんだと思ってうれしくなっちゃって。とっても自信が出てきて、明るい気持ちになれたの。和田さんはいなくなっちゃったけど、息子の半分は夫だし、その手が私の手をグッと握ってくれたときに、今まで落ち着かない気持ちだったのが、スッと取れちゃったの、心のつかえがストンと取れた感じかな~樹里ちゃん、良いこと言ってくれたな~と思って」
平野は、上野樹里に心の底から感謝しているそうだ。
『激レアさん』芸能人特番は当たりはずれが大きく、残念なケースも少なくない。しかし、今回は完全に当たり回だった。人選が良かったからだ。結局のところ、タレントのほとんどは「激レアさん」である。
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