『時をかける少女』はその時代のヒロインと青春を映し出す鏡
#金曜ロードショー #しばりやトーマス #金ロー #時かけ
付き合ってるわけでもない男女の友情にときめきと悔しさ
すでに説明したように『時かけ』は、その時代のヒロインや青春時代を映し出す鏡だ。単なる物語ではなく観客は『時かけ』の中に理想のヒロインや青春時代を思い描く。
アニメ版のヒロイン、紺野真琴は放課後にクラスメイトの男友達、巧介、千昭と野球やキャッチボールをしている。
巧介は長身のスポーツマン風で、医学部志望ということもあって将来の道が定まっているので、将来のことをぼんやりとしか考えていない真琴に小言をいう。
千昭は巧介とは正反対のチャラチャラした男で、転校生ということもあって周囲からとっつきにくい、馴染みにくい奴という扱いではあったが真琴や巧介とは仲のいい友人。三人は放課後につるみながら恋愛関係には発展しないでいる。
この放課後、一緒に野球をする、付き合ってるわけでもない男女の友達という描写に恥ずかしくもときめいた観客は多かったろうし、悔しくもあった。筆者の青春時代には放課後、野球を一緒にしてくれるような女友達は一切いなかった! 断言してもいい!
これが現代風ってやつなんですか? 当時この映画を観ていたオタクだって、こんな青春時代は絶対過ごしたことないに決まってる!(偏見だよ)
現実には放課後に野球をしてくれる異性なんていない、男女が二人以上いればどうしたって恋愛感情が絡みだす。幻想だけでは人は生きられない。3人の関係は巧介が後輩から告白され、千昭が真琴に告白しようとしたことで崩れていく。「放課後の野球」を続ける日々が失われることを恐れた真琴は、時を遡るタイムリープの能力で千昭の告白を「なかったこと」にしてしまう。だが恋愛感情そのものがなくなるわけではないので、真琴は他人の感情を愚かにもコントロールしようとした罪を背負うことになる。
登場人物たちに恋愛感情が生まれることで物語が動き出す、という展開をはっきり描いているところがかつての角川・大林版とは違うところで、角川・大林は原田知世にほれ込みすぎて、登場人物間の恋愛要素は仄めかす程度にしていた。その代わり作り手の歪すぎるヒロインへの過剰な思い入れだけはビンビンに感じ取られる。
細田によるアニメ版は脚本家が女性の奥寺佐渡子ということもあってか、ヒロインへの思い入れよりも青春時代の1ページという要素の方が強調された。
未来からやってきた人間が帰ることになり、未来人がこの時代にやってきた目的、未来では見ることが叶わない一枚の絵を未来に残すという「将来やりたいこと」を見つけた真琴に「未来で待ってる」と言い残し未来人は姿を消す。角川・大林が過去をノスタルジックに振り返ったのに比べ、細田は未来に向けて想いを乗せた。
『時かけ』に人は理想のヒロイン、恋愛、そして青春を見る。『時かけ』は永遠に古くならない理想の物語なのだ。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事