『関ジャム』山下達郎が語る自戒、多くのミュージシャンたちに突き刺さる“一問百答”
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“山下達郎とタモリが異口同音「一流を体験しないと絶対にダメ」”
川谷絵音からは、こんな質問が。
「達郎さんのギターカッティングの音が大好きなのですが、右手の振り方が独特で、真似してもまったくできません。あの右手のフォームは何から生まれたのでしょう?」
元はドラマーだった山下。アマチュアバンド時代はドラムを叩きながらリードボーカルを務めていたが、シュガー・ベイブではギターボーカルに転向。お手本としたのは、ジェームズ・ブラウンを代表とするリズム&ブルースのカッティングギターだった。
「シュガー・ベイブはあんまりうまいバンドじゃなかったので、すごくラッシュする(走る)んです。だいたい、日本人って走るんですよ。レイド・バック(ゆったりしたノリ)する奴ってそんなにいない」
「3年弱くらいですけど、村上“ポン太”秀一さん(Dr.)、岡沢章さん(Ba.)、坂本龍一さん(Pf.)と、木恒秀さん(Gt.)のフォーリズムをバックに、僕。2年半ほど学園祭とかピットイン(六本木 PIT INN)とかそのセクションでやっていた時代があって。そのとき、その人たちのタイム感覚って自分のギターと全然違ってね。でも、やってるとだんだんそれがわかってくるわけ。そこですごく勉強になりましたよね。リズムのツボっていうか。あのクラスのミュージシャンだと、それが見えてくるんですよ。それで鍛えられた。それはすごく大きい。だから、うまい人とやらなきゃダメなんです、絶対に。一流の人とやらないとダメ」(山下)
まず、そんな面子で回っていた時期があった事実に驚いている。こんな話をもっと聞きたい。そして、「うまい人とやらないとダメ」という至言。どのジャンルにも通ずる話だ。例えば、タモリの語録としては以下が有名である。
「経済的に許すなら、若いうちになるべく最高の料理、最高の酒を飲んでおいたほうがいい。頂点を極めないから、これがダメ、あれがいいということになる。頂点を極めてしまえば、裾野が広がり、どんなものでもよく見える。許すことができる。だから入門編はありえない」(タモリ)
山下達郎のベースにあるのは「大衆への奉仕と人間が生きることに対する肯定」
90分にわたるロングインタビュー、最後の質問はこれだった。
――海外のリスナーからも、達郎さんの作品にさらに注目が集まっています。異国でのライブの可能性は?
「ありません。そんな暇があったら、もっと日本のローカルタウンに行きます。(中略)僕は、70年安保という政治的な騒乱の時代に高校生で、それをかじってしまい、あとは音楽に溺れてドロップアウトして、大学を途中で辞めてバンドを作った。あの70年代の政治騒乱でドロップアウトした人たちは、ほとんど音楽をやってるんですよ。(中略)僕らの音楽のムーブメントは、本来、音楽の世界に入らなくていい連中がドッと業界に参入してきたので、それがユニークさを生んでいる」
吉田拓郎や坂本龍一も、山下と同じ形で“ドロップアウト”した。まさしく、頭脳警察の時代だ。当然だが、すべての文化は時代背景によって形成されている。現代は“分断の時代”なので、やりたいことができるのは元からその世界に住む者のみである。
「そういう意味では、僕がステージに立って歌ってるけど、3列目に座ってる人が僕の代わりにステージで歌ってたかもしれない。聴衆と自分の距離が近いんです。生活者としての共同意識みたいなのがあるんです。そういう具合に考えてやっていかないといけない。僕はそれだけ考えてやってきたので。だから、『同世代音楽』ってキャッチフレーズでやってきましたけど、自分と同じ世代のためにやってる。自分たちが歳とったら『歳とった』っていう。いつまでもピーターパンみたいな歌は作らない、そういう考え方でやってきているので。そういう人たちの生活に奉仕する音楽」
「ポップカルチャーっていうのは基本的に、大衆への奉仕と、人間が生きることに対する肯定。その上にアバンギャルドとか、そういうものがあるので。『僕がやるべきことは何か?』をずっと考えていると、そういうことなんです。だから、海外進出とかそういうことは考えたことがない。そんな暇があったらもっとローカルタウンに行って、そこで真面目に働いてる人たちのために公演する。それが、僕の与えられた役割だと思ってる。じゃないと、自分はなんのために音楽をやっているか。『自分が音楽をやる意味は何か』と常に問いかけていかないと、音楽家としてのスタンスが曖昧になる。それだけは嫌なので」
「大衆への奉仕と、人間が生きることに対する肯定」が、山下達郎のベースになっている。それは、彼の音楽を聴けばよくわかる。
そして、海外より日本のローカルタウンを大切にし、同世代に向けて作り続けた音楽が、世界中の人に響いたという事実。達郎が話をしているバックで流れていた曲が「希望という名の光」だったという演出にも、グッと来てしまった。「自分が音楽をやる意味は何か、常に問いかけないと音楽家としてのスタンスが曖昧になる」という言葉。多くのミュージシャンに深く突き刺さったはずだ。
前編より“サンソン風味”が強まった、今回の後編。一問一答どころか、一問百答という感じだった。話し相手であった大滝詠一が亡くなり、山下から少々の寂しさを感じたりもしている。「偏屈」と言われる山下の、音楽に対する芯の部分が伝わってきた、とてもいい特集だった。
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