麒麟・川島の後継者MCに粗品が浮上?「粗品の呪い」がウケた理由を分析
#粗品 #関西バラエティ番組事件簿 #田辺ユウキ
「粗品の呪い」はなぜおもしろいのか
「粗品の呪い」のすごさは、「馬券を外す」ということを芸へ昇華させた部分だろう。馬券結果を報告する動画を観ても、その喋りの組み立て方が実に見事。冒頭でキレたり喜んだりして「なぜ粗品は感情的になっているのか」と視聴者の興味をひき、その理由を説明して、購入した馬券をもとにレースの検証をおこない、その馬券でどれくらい損をしたか、もしくは得をしたかを伝え、終盤にあらためて感情を出す。「競馬予想」が話芸として成立しているのだ。
競馬予想の多くは「勝ち」に注目があつまるなか、「負け」にスポットをあてたのも斬新である。
昨今、YouTuberなどのインフルエンサーがメディアを賑わせているが、話題になるのは「再生回数や登録者数がどれだけ多いか」「いかにお金を稼いでいるか」「案件でいくら設けているのか」といったものに偏りがちで、やや辟易とさせられる。そうやって「数字が多いものが勝者である」という図式ばかりのなかで、粗品は「数字は稼いではいるけど誰よりも敗者である」ということを提示。その点が、「粗品の呪い」がウケている理由ではないか。
粗品ほどの人気芸人となれば、誰もが「馬券を外してもダメージを負っていないのでは」と思ってしまうはず。それでも抜群の話術で「金欠」をアピールし、税金苦など具体的なエピソードも絡め、また競馬予想が当たっても「馬券を買っていない」「払戻金よりも購入金額の方が多い」「投資額が少ないから全然儲かっていない」とすることで、負け組の方へと自ら寄っていく。庶民感覚の視聴者としては、金満自慢よりもよっぽど親近感が持てる内容である。
何より、こういった芸能人の競馬予想は勝ってしまうとそこでオチがついてしまう。負け続けることで、「競馬予想」という一つのネタをやり続けることができるのだ。その間、ネットニュースなどでも「粗品の呪い」がずっと取り上げられることになる。懐事情はたしかに痛いだろうが、お笑い芸人としてはこの「負け」は「勝ち」なのである。
この記事が掲載される頃には、もしかすると『KEIBA BEAT』の後継MCが発表されているかもしれない。粗品の抜てきは現実性が低いだろうが、ただゲスト出演などがあった場合、ネットは騒然となるはずだ。
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