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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 有吉弘行の食リポは“テレビ的”か?

有吉弘行の規格外すぎる“無言食リポ”はテレビ的か否か?

スギちゃん「ファッション業界が広げる前に私が着て出ちゃった」

 16日の『やすとものいたって真剣です』(毎日放送)。関西ローカルの番組でこの日放送されていた企画は、「自己プロデュースを成功させた芸人スペシャル」。銀シャリや田渕章裕(インディアンス)、スギちゃんなど衣装が特徴的な芸人が集まり、そのトレードマークが生まれるまでの経緯や、衣装が固定されているがゆえの悩みなどを語っていた。そこで披露されていたスギちゃんのエピソードが面白かった。

 もともと漫才師だったスギちゃんは、解散後はピン芸人に転向。さまざまなキャラクターを模索するなかでワイルドキャラが生まれ、当初はダウンジャケットを切ったり、長ズボンを切ったりして衣装にしていた。が、まったくウケなかったのだとか。衣装が“ワイルド”に合っていないと感じた彼は古着屋へ。そこで見つけたのが、ノースリーブデニムと短パンデニムの上下セットだったらしい。購入してその日のライブに出演すると、ネタは大ウケ。そこからずっとこのスタイルだという。

 ただ、スギちゃんいわく、古着屋にノースリーブと短パンのデニムが上下で売っていたのは偶然ではなかった。ちょうどそのころ、海外でその上下のスタイルがとても流行ったことを受け、日本でも流行らせようという動きがファッション業界であったらしい。しかし、日本で本格的に流行る前にスギちゃんがそれを着てブレイクしてしまった。

「ファッション業界が広げる前に私が着て出ちゃったもんですから、みんな試着するたびに『あ、スギちゃんだ……恥ずかしい……』って。まったく売れなくなって。海外のファッション業界が、なんで日本では売れないんだ? と」

 スギちゃんがブレイクしたのは2012年。彼はひとつの流行を生み出すと同時に、別の流行の芽を摘んでいたということか。アパレル業界が流行らせようとした最先端のスタイルは、驚安の殿堂ドン・キホーテに陳列されるコスプレ、パーティーセットになった。あるいはその年、スギちゃんは最先端のファッションリーダーだったのだ。

飲用てれび(テレビウォッチャー)

関西在住のテレビウォッチャー。

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いんようてれび

最終更新:2023/02/27 19:08
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