山田邦子の上島竜兵さん舌禍問題で思い出す「人気低下と太田プロとの関係悪化の道」
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あまりに突然のことで、芸能界のみならずお茶の間にも広く衝撃を与えたダチョウ倶楽部・上島竜兵さんの急死。亡くなってから1カ月以上経った今も悲しみが癒えることはないが、そんななか、女ピン芸人の先駆け的存在で、かつて上島さんと同じ「太田プロダクション」に所属していたタレントの山田邦子が、上島さんの葬儀当日の様子などをマスコミに語り、太田プロ幹部の怒りを買っているという。
「上島さんが亡くなって以降、コメントを求めるマスコミに対して、ビートたけしや明石家さんま、ダウンタウンの松本人志らは、遺族に配慮して、当たり障りのない生前のエピソードを語るにとどめているにもかかわらず、邦子はマスコミ各紙の取材に、棺桶の中のことまでベラベラ喋った。あまりのデリカシーのなさに、上島さんが所属していた太田プロ幹部が激怒。もともと、独立時から太田プロとの折り合いもよくありませんし、さらに関係性は悪化しそうです」(お笑い関係者)
山田邦子といえば、1981年にピン芸人としてデビュー後、80年代に大ヒットしたバラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)に唯一人、女性芸人としてレギュラー出演を果たすと、自らのコーナーを持つなど大ブレーク。その後は、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジ系)などの冠番組を持つなど活躍し、88年からは8年連続でNHKの「好きなタレント調査」で1位をキープ。ちなみに、当時、隔週刊女性雑誌「微笑」(祥伝社/休刊)で何度か山田にインタビューする機会があった筆者も、彼女に対して好印象を抱いていたが、そんな好感度の高さを武器に、最盛期には、週14本のレギュラー番組を持つ超売れっ子となった。
「プライベートでも、男性関係のスキャンダルはありませんでしたが、一度、芸人仲間の間で、ビートたけしとの不倫が噂されたことがありました。実際は、当時たけしが西麻布にあったバーのママと不倫していた時、そのママが山田に似ていたことから、噂が流れたようでした」(お笑い関係者)
余談だが、この山田似のママについては、エピソードがある。
当時、たけしが所属していた「オフィス北野」の関係者から、「たけしが所有しているものの、誰も利用していないはずの伊豆長岡のマンションから、毎月、電気代や水道代の請求が来る。大型テレビを買ったという請求書まで届いているが、誰が住んでいるか、ご存知ですか」という問い合わせが来たのだ。
この伊豆長岡のマンションは、業界の重鎮的存在だった大橋巨泉さんから、“巨泉ファミリー”だった、たけしや石坂浩二らが勧められて購入した物件だった。巨泉さんは、「オレはここにずっと住むからな」と宣言していたものの、突如売却。表向きは、「このへんには250ヤードのゴルフ練習場がないから引っ越す」と話していたが、その後、マンションの下に活断層があることが判明し、地震を恐れて売却したことがわかったという。
そうして使われないなま残されたたけし所有のマンションを利用してたのが、この山田似のママだった。というのも、店に通っていた筆者に、ママ自身が「伊豆長岡のマンションは住心地が良い」と自慢気に語っていたからだ。
話を元に戻そう。
山田は、95年にはNHK大河ドラマ『八代将軍 吉宗』で吉宗の生母・浄円院役に抜擢され、さらに同年、TBS系昼の帯番組『山田邦子のしあわせにしてよ』がスタートしたが、とりわけ後者が低視聴率だったことから、徐々に仕事が減り、人気も下降。もっとも、当時を知るワイドショーの元デスクは、「人気が凋落した決定的な原因は、写真週刊誌に妻子ある男性との不倫写真を撮られたことでしょう」と述懐する。
「不倫もさることながら、直撃取材した芸能リポーターの井上公造に向かって、“お前モテないだろ! 馬鹿じゃないの!!”と罵倒したシーンがワイドショーで何度も放送された。それで視聴者から反感を買い、仕事が激減したんです。ちなみに、そのお相手とは2000年に結婚しています」(前出のワイドショー元デスク)
その後、07年に乳がんの手術を受けたことを公表。早期発見・早期治療の大切さを訴える啓蒙活動に力を入れると、講演や本の執筆依頼が来るようになったものの、テレビの仕事にはつながらなかった。
「テレビの仕事が激減した理由について、女性誌の直撃を受けた山田は、“恩義のあった前社長が引退して会長に、その息子が新社長になってから、私のマネジャーが動いていない状態なんです”“事務所は私に全然関心がないの”と、仕事がないのは事務所のせいだと語り、大きな注目を集めました。結局、19年に太田プロを退社し、フリーになりました」(元事務所関係者)
建前はあくまで円満退社となっているが、公然と事務所批判をした山田と太田プロの関係は良好とはいえず、さらに、そんななかでの今回の山田の言動に、太田プロ幹部は怒りを募らせているという。
「自殺した上島さんと山田は、事務所でほぼ同期でした。それだけに、上島さんとのエピソードは事欠きません。にもかかわらず、葬儀に出席した山田は、そうした生前のエピソードではなく、葬儀の様子を話してしまった。太田プロ関係者からは“あれはないよ”という批判が少なくなく、完全に見放されたといっても過言ではないでしょう」(スポーツ紙記者) あらためて、口は災のもと、かーー。
(文=本多 圭)
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