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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 20代の僕たちはこうしてプロレスに出会った
DDTプロレスリング・The37KAMIINAのサウナ連載(仮)

20代の僕たちはこうしてプロレスに出会った──レスラーたちの少年時代回想録

 エンターテインメント性の高さと選手たちのキャラクターの強さが人気の「DDTプロレスリング」内で、飛ぶ鳥を落とす勢いを見せるユニット『The37KAMIINA(サウナカミーナ)』。その名の通りサウナをこよなく愛し、「DDTをサウナにする!」と息巻くのは、竹下幸之介、勝俣瞬馬、上野勇希、MAO、小嶋斗偉という団体の未来を背負って立つ次世代レスラー5人だ。プロレス界で大きな躍進を遂げる彼らが、試合さながらのチームワークでプロレスとサウナの魅力を語り尽くす、“読んでととのう”連載もついに10回目に突入!

 今回は彼らがなぜ「プロレス」の道を選んだのか。なぜThe37KAMIINAになったのか。プロレスラーを目指した理由を各々深掘りしていく。

20代の僕たちはこうしてプロレスに出会った──レスラーたちの少年時代回想録の画像1
左から小嶋、上野、勝俣、竹下、MAO(写真:三浦太輔)

同級生・上野に影響を与えた竹下少年の夢

──今日は、改めてみなさんがプロレスラーを目指したきっかけをお伺いできればと思っています。みなさんの世代だと、もう地上波のテレビでプロレス中継を見る機会もあまりなかったのではないかと思い、どのような経緯で「プロレス」に出会ったのか気になっていたんです。

竹下 僕は、男の子が『仮面ライダー』や『ウルトラマン』を見るような感覚で、物心つく前から親が好きだった影響もあってプロレスを見ていました。そのときからずっと夢はプロレスラー。もっと小さい子なら「アンパンマンになりたい」と言ったりするけど、「アンパンマン」も、「仮面ライダー」も、「ウルトラマン」も現実にはいないから、みんなの夢は変わっていきますよね。でも、プロレスラーは現実にいるから、夢がずっと変わることなく、そのまま憧れの存在になったという感じです。 

上野 そんな竹下少年は、高校生のときにプロレスラーになったわけですけど、同級生の竹下くんが大阪で試合をするということで僕は応援に行ったんですよ。あれが、いつだっけ?

竹下 2012年かな。高校2年生のとき。

勝俣 どこかの区民センターか体育館だったよね。

竹下 (デビューして)一発目の大阪だから、たぶん府立第二(大阪府立体育会館第二競技場大会)じゃないかな。 

上野 そうかも。それが僕の初めてのプロレス体験だったんだけど、「世の中に、こんなに面白いものがあるのか!」ってすぐにプロレスが好きになったんです。もちろん、いきなり「プロレスラーになりたい」ということではなく、こんなすごい人たちが頑張っているんだから、自分ももっと頑張らないといけないなと、モチベーションになっていました。それからトレーニングや寝技の勉強をするようになって「自分も挑戦したい」と思ったのが、19か20歳のころです。

勝俣 これも、すごいエピソードだよね。

──スポーツ経験はあったんですよね。

上野 中学は陸上、高校は器械体操をやっていました。格闘技経験はなかったけど、器械体操って指先から足のつま先まですべて意識して体を動かすので、そこで運動の基礎は固められたと思いますね。 

YouTube黎明期に芽生えた「中学生プロレス」カルチャー

──MAOさんはいかがですか?

MAO 僕は野球をやってたけど、格闘技はぜんぜん好きじゃなかったんです。でも、プロレスにハマっていた親友の家に泊まりに行ったとき、夜中に『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)を見せられて、それが 真壁(刀義)さんの流血試合でした。そのとき「人はこれで死なないのか!?」「大丈夫なのか!? すげーな」と思って、興味を持つようになりました。で、その友達がゲームボーイアドバンスの『ファイヤープロレスリング』ってゲームを持っていたんですけど。

竹下 『ファイヤープロレスリングA(エース)』ね。

勝俣 うわぁ、めっちゃやってたな(笑) 。

MAO そのゲームに「ラ・マヒストラル」っていう技があるんですけど、「これどうなってんだろう?」って、学校の廊下で友達とマネしはじめたんです。それから『ファイプロ』の技を再現する遊びをはじめて、その延長でプロレスごっこをするようになりました。で、せっかくだからってデジカメで動画撮影をして、Windowsムービーメーカーで編集して、音をつけて、YouTubeに投稿してたんです。

──それが、2010年頃ですよね。いまもYouTubeに動画が残っています。

MAO はい。なぜか当時、各地方に同じことをしている中学生たちがいて、「中学生プロレス」というひとつの文化みたいなものができたんですよね。

勝俣 めっちゃ見てたもん。なんだこれ!? って。

MAO 井坂レオくん(『Marvelous IMPACT』所属のプロレスラー)とかもやってたんだよね。

──「中学生プロレス」同士で、横のつながりもあったんですか? 

MAO そうですね。函館チームの子たちは函館大会を見に来てくれたし、福島の子が福島大会を見にきてくれたり、コラボ動画を撮ったり、そういうつながりはあります。

勝俣 へえ、すごいな。

MAO で、あるとき東京の「中学生プロレス」の子がDDTの入団テストを受けたんですよ。結果は落ちちゃったんですけど、そこで社長(高木三四郎)が「中学生プロレス」の存在を知って、「こんなものがあるんか?」と興味を持ってくれて。当時は中学生が動画を編集しているという部分にも驚きがあったみたいです。

──DDTとのつながりができたんですね。

MAO はい。それで「もし本当にプロレスラーになりたかったら連絡ください」って言われて、高木さんと連絡を取るようになりました。ただ、高木さんは「絶対に高校は出ろ」という考えを持っていて、たぶん竹下さんもそう言われてたと思うんですけど。

竹下 そうやね。それで高校に行った。

MAO 僕も同じような感じです。中学生のときに練習生になる資格はもらったので、高校ではそれに向けて柔道を始めて。学校が夏休みの期間は『闘うビアガーデン』というDDTがやってるビアガーデンプロレスのお手伝いをしながら、高校卒業後に上京して練習生としてデビューしました。 たぶん勝俣さんともそのビアガーデンで初めて会いましたよね。 

勝俣 そうだね。僕がDDTの練習生になったのが2013年だから、そのくらいだったはず。

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