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河瀬直美監督『東京2020オリンピック SIDE:A』上手いが危うい手法

単調で退屈さが否めなかった理由

 だが、映画としての構成は非常に単調だ。アスリートの背景や心情を語る→ごくわずかに切り取られた競技シーンという内容が、ひたすらに繰り返されるのだから。また、前述した赤ちゃんへのPCR検査や、選手が五輪の延期についてわずかに言及する場面はあるものの、それ以外ではコロナ禍での開催についてどう考えているか、選手としてどう対応しているかなどは、ほとんど語られることはない。

 この『SIDE:A』では首尾一貫した問題提起をするわけではなく、「ひとりの人間でもある、アスリートの美しい姿をたくさん観てほしい」という意図を突き通した結果とも言えるのだが、一本の筋の通った物語の軸がないこともあって、はっきり言って退屈さは否めなかった。

 これは、筆者個人がアスリートの活躍を熱心に追っていなかったことも大きいと思う。開催当時に彼らの活躍を心から応援していた方であれば、競技に挑む前の彼ら彼女らの知られざる事情に思いを馳せ、当時の記憶も呼び覚まされ驚きや感動は何倍にもなるのではないか。

 だが、当時にコロナ禍での開催の是非などに複雑な思いを抱えていたこともあって、全くと言っていいほど競技を観ていなかった筆者は、競技そのものがダイジェスト的にあっさりと描かれることもあって、映画としてはほとんど盛り上がりのない、面白みに欠けた内容に映ってしまったのだ。

2部作構成がプロパガンダとして上手い理由

 プロパガンダとして上手いと感じたのは、アスリートのみを追う今回の『SIDE:A』と、大会関係者や市民やボランティアや医療従事者の姿を映す6月24日公開の『SIDE:B』の2部作構成にしたことだろう。2部作とした理由について河瀬直美監督は「伝えたいことが多かったから」などと語られているが、筆者個人は「批判を黙らせる」手法としても有効であると思う。

 コロナ禍での五輪開催に反対していた筆者であっても「血の滲むような努力をしていたアスリートの気持ちは汲んであげたい」という想いは当然あったし、そうである方が大多数だろう。『SIDE:A』では人生を賭けて競技に挑むだけでなく、幼い赤ちゃんを抱えたり、人間として当然の悩みも持つ、尊いアスリートの姿がたっぷりと映し出されるので、もちろん彼ら彼女らを批判する気になどとてもなれない。なんなら感情移入ができるし、味方になってあげたいとも思う。

 そのアスリート側に感情移入をしたということは、この『SIDE:A』でもわずかに映し出される五輪反対デモをしている人々が「悪」側にも見えかねないということでもある。もちろん劇中では恣意的に誰かを悪人にするような演出はしていないし、(筆者は未見の)『SIDE:B』では問題に対し中立的な描き方がされているかもしれないが、この『SIDE:A』で2時間という時間をたっぷりかけて、批判のしようがないアスリートの姿をひたすらに描いたこと自体に、かなりの居心地の悪さも感じてしまったのだ。

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