頼朝が京で争う「天狗」たち…後白河法皇よりも“くわせもの”だった丹後局
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頼朝を翻弄した「楊貴妃」丹後局
この時期の頼朝にとって、朝廷の面々は言うなれば“ラスボス”といったところでしょう。頼朝の目的は、わが人生の総決算として、愛娘である大姫を後鳥羽天皇の后にすること。ひいては大姫に天皇の皇子を生ませ、自分は天皇の外戚として権力を握ることだったといわれています。
前回の放送では、心身の健康を取り戻しつつある、成長した大姫(南沙良さん)の姿が見られました。そして大姫を京都の天皇に入内させる計画を頼朝(大泉洋さん)が政子(小池栄子さん)に語り、驚かせるシーンもありました。史実の大姫は自分が天皇の后になれるかもしれないという、まるでおとぎ話のような計画を聞いて、希望を抱いたようです。少なくとも拒否することはありませんでした。
建久3年(1192年)4月、後白河法皇が崩御すると、頼朝はそれまで法皇に何度も要請しながらも与えられなかった征夷大将軍の座をついに手に入れ、大姫入内計画もさらに前に進めようと暗躍を始めました。
まず、頼朝は、当時の朝廷では「楊貴妃」などと呼ばれるほどの影の実力者だった丹後局の追い落としを図ります。
丹後局の本名は高階栄子(たかしなえいし)といって、後白河法皇の寵臣だった平業房の妻でしたが、夫婦そろって後白河を支えていくうち、夫以上に、後白河から寵愛を受けるようになったのでした。平業房との結婚中も、夫とは違う男性との間に複数の子供を生んでいたとされますし、非常にクセの強い女性だったことは間違いありません。後白河の側近となって丹後局と呼ばれるようになった彼女は、朝廷で頼られる、あるいは恐れられる存在でした。
彼女が後白河との間に授かった娘(宣陽門院)に、法皇の死後、広い領地が与えられるという計画もありました。しかし、後白河以上に食わせ者である丹後局の存在を恐れた頼朝は、自分に好意的な関白・九条兼実とタッグを組み、法皇の遺志を無視して、丹後局の娘が領地を得られないよう手を回したのです。
もっとも、丹後局は一筋縄ではいきません。頼朝は前述のとおり、わが娘を天皇の后に……という計画を胸に秘めていたものの、頼朝より先に後鳥羽天皇の後宮に娘を入内させた九条兼実の手前、あからさまには大姫の入内計画を進められなくなってしまいました。すると丹後局は頼朝に接近し、彼の宿願である大姫入内に協力する素振りを見せるのです。
愛娘を想う気持ちが「あくどい」行為にも慣れっこの頼朝の眼を曇らせたのか、彼と丹後局の関係は急速に深まり、300両ぶんの砂金を収めた銀の箱などを大量に彼女に贈る一方で、九条兼実には馬を2頭与えるだけという露骨な手のひら返しを見せるようになります。こうして、九条兼実は頼朝に裏切られ、失脚してしまいます。そして結果的に、丹後局の娘には後白河の遺領が予定通り与えられることになりました。
頼朝との友好関係を表向きには築いた丹後局ですが、本心では「鎌倉殿」である頼朝の勢力が朝廷内でこれ以上伸びることを嫌悪しており、大姫の入内計画もよしとしていませんでした。そんな彼女の暗躍により、この計画は頓挫させられています。入内が実現することのないまま半年ほどの京都滞在を終えた大姫は、鎌倉に戻ったあとに体調が悪化し、建久8年(1197年)7月、二十歳の若さで亡くなりました。
史実の頼朝が大姫の幸福だけを考えて動いていたわけではないのは、その後に大姫の妹・乙姫を後鳥羽天皇に入内させようと画策しはじめたことからもわかります。あるいは京都の朝廷で白熱の権力争いを経験した興奮が、彼の中の何かを変えてしまったのでしょうか。
建久10年/正治元年(1199年)の正月、頼朝自身も落馬事故で絶命したとされるため、娘の入内という彼の悲願は最後まで叶うことはありませんでした。謎の頼朝の落馬死には暗殺説も唱えられています。大姫の一件以降、京都での栄達ばかり考えるようになった「鎌倉殿」頼朝が、御家人たちから見限られた末の暗殺事件だったのかもしれません。ドラマがどう頼朝の死を描くかは、興味深いですね。
「あくどい」頼朝が手を焼き、「大天狗(=くわせもの)」などと呼んでいた後白河法皇ですが、その法皇以上に「天狗」だったのは丹後局でした。ちなみに乙姫も入内がほとんど決定したという時期に急病となり、京都から派遣されてきた“名医”が診察した直後に亡くなるという(見方によれば)不審死を遂げています。“名医”を派遣したのは土御門通親(つちみかど・みちちか)という公卿で、丹後局の協力者でもありました。頼朝以上にあくどい人々が、この頃の京都にはゴロゴロいたといえるかもしれません。
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