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日テレ河村アナ急逝――スポーツ&バラエティ掛け持ちの「元祖」

日テレ河村アナ急逝――スポーツ&バラエティ掛け持ちの「元祖」の画像
河村亮アナウンサー(日本テレビ公式サイトより

 日本テレビの河村亮アナウンサーが5月14日に脳出血で逝去したことが16日に発表された。享年54。

 河村アナは早稲田大政経学部卒業後、1991年に日本テレビに入社。プロ野球・読売ジャイアンツ戦や、箱根駅伝など、同局のスポーツ中継における実況の中心メンバーとして長年活躍した。発表によると、最後の仕事となったのは3月19日放送の『日テレアナ・ザ・ワールド!』(ラジオ日本)で、テレビでは、3月3日にBS日テレで放送された巨人対埼玉西武ライオンズ戦の巨人リポーターを務めていた。

 スポーツ実況だけでんあく、バラエティ番組でも才能を発揮し、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』『ウリナリ芸能人社交ダンス部』『嵐にしやがれ』『24時間テレビ』など人気番組で進行や実況を担当し、お茶の間に知られていた。

「キー局のアナウンサーは、本人が自覚しているかどうかは別として、偉そうに振る舞ったりする人物は意外に多く、それで失脚する人も中にはいたが、河村さんはベテランになっても腰の低い人で、分け隔てなく接する貴重な存在。だからみんなに慕われていた」(プロ野球OB)

 ライバル局で切磋琢磨した元アナウンサーの1人は、河村アナのすごさをこう振り返る。

「元プロ野球選手で現・国会議員の石井浩郎氏のプレーを実況した際に『一閃』というフレーズを生み出し、その後のスポーツ実況にも大きな影響を与えた。どうしてもフレーズをあれこれ入れ、自分なりの味付けをしたがる実況アナウンサーは多いですが、河村アナは逆に、できるだけ端的に分かりやすいフレーズで勝負した。すると“間”が大事になってくるのですが、絶妙なタイミングで繰り出すセンスがとにかく秀逸でした。

 河村アナが駆け出しの1990年代はまだ、スポーツアナウンサーといえば“スポーツだけしかやらない”とこだわりを持つ人も多かったが、河村アナはバラエティにも果敢に挑戦。今でこそ、在京テレビキー局であっても報道、スポーツ、バラエティとマルチにやらないと仕事が務まりませんが、いわばそうしたアナウンサーの先駆けの1人だったと思います」

 同局の伝説的バラエティ『進め!電波少年』シリーズなどで知られる土屋敏男プロデューサーは、Twitterで「河村早すぎるよ! 電波少年も雷波少年もウリナリも河村がいなかったら成立しなかった。あんなに上手く発表を引っ張れる奴はいなかった。そして一緒に喜んだ! 本当にありがとう」と追悼。一方で巨人の原辰徳監督も「素晴らしい実況アナウンサー。競技に対する知識も非常に豊富でエネルギッシュな取材の前には私も圧倒されるような思いをしたことを昨日のことのように思い出す。突然の訃報にただただ驚くばかりです。ご冥福を心よりお祈りいたします」とのコメントを発表した。22日の告別式には球界、芸能界など多くの関係者が弔問に訪れたという。

 幅広いジャンルで活躍した河村アナの早すぎる逝去、各界からも悲痛の声が聞こえてくる――。

黒崎さとし(編集者・ライター)

1983年、茨城県生まれ。ライター・編集者。普段は某エンタメ企業に勤務してます。

Twitter:@kurosakisatoshi

くろさきさとし

最終更新:2022/05/23 07:00
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