松田聖子も中森明菜も…アイドル文化“偏愛”管理人と旅する「アイドルキャッチコピー」の世界
#アイドル #キャッチコピー
1970年~90年代のアイドルを愛してやまず、有名どころからマイナーまで、20世紀のアイドルたちの超膨大なデータベースをインターネットに記録・保管しているファンサイト「20世紀アイドルの肖像」。管理人・究極DD(@Idol20th)が、その多大な愛と知識をもってアイドル文化を論じます。
テーマは、「アイドルのキャッチコピー」。時代を駆け抜けたアイドルたちの、珠玉の——または、キテレツな——めくるめくキャッチコピーの世界をご紹介しましょう。
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アイドルブームが定着して久しい現在。今の若者は知らないかもしれないが、1970年代から80年代にかけて活躍したアイドルには「キャッチコピー」(キャッチフレーズ)というものがあった。
松田聖子(80年/メジャーデビュー年、以下同)は『抱きしめたい! ミス・ソニー』だし、今では倫理的にあり得ないフレーズだろうが、中森明菜(82年)は『ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)』といったキャッチコピーで売り出されていたのだ。
当時の日本音楽界は、『日本レコード大賞』(TBS系で現在も放送)や『日本歌謡大賞』(TBS以外のキー局で持ち回り制、93年に終了)などの音楽賞の権威が強く、その年にデビューした新人歌手、特にアイドルは、誰もが「新人賞」の獲得を狙っていた。その新人歌手を売り込むために利用されたのが、自身を簡潔にアピールできるキャッチコピーだったわけだ。
レコード会社や所属事務所は、新人アイドルがデビューすると少しでも注目を集めるキャッチコピーをつけようと必死になり、著名なコピーライターに高い料金を払ってキャッチコピーを付けてもらうケースもしばしば。新人アイドルも、自身のキャッチコピーを頻繁にアピールしていた。
アイドルのキャッチコピーとパターン分析
84年のホリプロスカウトキャラバンでグランプリを獲得、今でも現役バリバリの井森美幸(85年)。彼女のキャッチコピーは、かの有名な『井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません』。現在に至るまで独身を貫いている井森は、四半世紀以上がたっても「まだ誰のものにもなっていない」と、当時のキャッチコピーをネタに笑いをとることが定番になっている。
83年デビューの桑田靖子に付いた『クラスで5番目に可愛い女の子』も特徴的だ。しかしこれは公式なキャッチコピーではなく、どこかで言われたフレーズがあまりに桑田靖子のイメージ通りだったため、浸透してしまっただけのようである。
ちなみに、AKB48は『クラスで3番目に可愛い娘』をコンセプトにしているという説が流行ったが、後に秋元康は出演した番組で「全力で可愛い子を集めた結果」と否定している。
その他のキャッチコピーを、以下の5パターンに分類してみた。
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「○○から来た」系
■南沙織(71年):『南の島からきたシンシア』
キリスト教徒でシンシアの洗礼名を持つ南は沖縄の出身。当時の沖縄は日本返還前のアメリカ領土だったこともあり、「遠い南の島」というイメージが今以上に強かったようだ。
■アグネス・チャン(72年):『香港から来た真珠』
香港で芸能活動をしていたアグネス・チャンは、2017年に亡くなった作曲家・平尾昌晃氏のスカウトによって日本にやってきた期待の新人だった。
■浅香唯(85年):『フェニックスから来た少女』
浅香の出身地は、かつて新婚旅行のメッカとして南国リゾートの雰囲気を醸し出していた宮崎県。そんな南国リゾート宮崎を象徴する木がフェニックスということで、回り回ってこのようなキャッチコピーになった模様。
出身地がキャッチコピーになるケースは、アイドルそのものよりも出身地自体に大きな特徴があったようである。キャッチコピーとしてはシンプルでわかりやすいと言えるだろう。
レコード会社の名前を冠する系
■天地真理(71年):『あなたの心の隣にいるソニーの白雪姫』
映画スターよりも身近な存在として誕生したアイドルと、白雪姫のように可愛かったデビュー当時の天地を表したキャッチコピー。そこに無理やり入り込むソニーの図々しさがなんとも言えない。
■石川さゆり(73年):『コロムビア・プリンセス』
今や演歌界の大御所である石川もデビュー当時はアイドル歌手で、桜田淳子に代わり、森昌子、山口百恵とトリオで売り出す計画もあったほど。当然、キャッチコピーもアイドルチックだった。
■山口百恵(73年):『大きなソニー、大きな新人』
山口のキャッチコピーに関しては、個人の特徴がまるでなく、レコード会社の宣伝文句のようだった。実際に大物歌手になったので、内容についてはあながち間違いではなかったが。
レコード会社の名前をキャッチコピーに特に使っていたのがソニー系のレコード会社で、先述した松田聖子もここに分類される。レコード会社の名前を冠するのは今となっては理解に苦しむセンスだが、当時はレコード会社や所属事務所による特徴、または権威づけもあったようだ。
チャームポイント系
■浅野ゆう子(74年):『ジャンプするカモシカ』
最近は使われなくなっているが「カモシカのような足」は細くきれいな足に対する褒め言葉。一見、意味不明に思えるキャッチコピーも、長身で長い脚が特徴だった浅野の特徴をうまく言い表していた。ちなみに、当時行われていたアイドル運動会の高跳びで、浅野はキャッチコピー通りの好成績を上げることになる。
■香坂みゆき(77年):『飛び出せビーバー14才』
中学1年生で人気番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)に出演し、14歳で歌手デビューした香坂の特徴は大きな前歯。そんな特徴を言い表すため、大きな前歯で木をなぎ倒しダムを作る動物“ビーバー”の名前がキャッチコピーに採用されたようだ。
■橋本美加子(85年):『「まつ毛ちゃん」に逢ったらよろしくと。』
マッチ棒が何本も乗るほどの長いまつげが特徴だった橋本は、「まつ毛ちゃん」と呼ばれることもあったが……正直、トップアイドルになる人のキャッチコピーとは思えず、事実、橋本は残念ながらアイドルとして大成しなかった。
近年は、本人が気にしがちな身体的特徴について表立って言及することは避けられる傾向があるが、当時は特徴になるようなものがあれば容赦なくキャッチコピーに採用されていた。付けられた当人たちの気持ちは複雑だったに違いない。
「〇〇の妹」系
■大場久美子(77年):『一億人の妹』
日本の人口が1億人を超えたのは1967年で、1970年代当時は、日本国民全体を表すものとして、何かと「1億人の〇〇」という言葉が使われていた。17歳でデビューした大場より年下の人も多数いるため、1億人の妹というキャッチコピーには大きな矛盾があるが、当時はそんなことを気にする人はいなかったようである。
■松本伊代(81年):『瞳そらすな僕の妹』
松本のキャッチコピーは、上記した大場久美子のキャッチコピーより一歩進み、読み取る人間自身である「僕」という言葉を採用することで、より親近感を感じさせる狙いがあったようだ。
■岩井小百合(83年):『横浜銀蝿の妹』
岩井は暴走族をモチーフにしたロックバンド「横浜銀蝿」がプロデュースしたアイドルだが、「横浜銀蝿の妹」というキャッチコピーはアイドルとしてプラスになったのかは甚だ疑問である。
アイドルの特徴である若さをアピールするためか、「〇〇の妹」というキャッチコピーもよく採用された。しかし、若者文化であるアイドルは年下のファン獲得も大切なはず。その点は一切考慮しなかったのだろうか?
■やけくそ(?)ダジャレ系
■石川ひとみ(78年):『78歌謡界最大の輝くひとみ』
目の瞳と石川の名前である“ひとみ”をかけているのだが、若干スベっている気もしないでもない。ちなみに、石川が歌謡界で輝くのは、デビューから3年が過ぎた1981年の「まちぶせ」のヒットまで待たなければならない。
■大沢逸美(83年):『グッドガール it’s me』
大沢の名前である「逸美」と英語の「it’s me」をかけるセンスは、なかなか秀逸に感じるが、それ以上に「グッドガール」の部分がカタカナなところに時代を感じてしまう。
■小出広美(83年):『83 誰もがKOIDE(恋で)狂いです』
これは明らかに無理やりなダジャレ。考案者がダジャレに対する執着心があったのか、それともアイドル飽和時代でキャッチコピー作りも行き詰まっていたのだろうか?
毎年100人以上の新人アイドルが誕生していた当時、全てのアイドルのキャッチコピーをつけることは大変な作業で、安易にダジャレに走ってしまうこともしばしばだったようである。センスの良いダジャレもあったが、強引なダジャレも多く、キャッチコピーの質としては賛否の分かれるところだろう。
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このような、多様なキャッチコピーが誕生した70年代から80年代のアイドル界だが、一方でレコード会社や所属事務所によってはキャッチコピーを付けないアイドルもおり、中山美穂(85年)などは、キャッチコピーがないアイドルの代表的存在と言える。
ここでは紹介しきれない70年代アイドル・80年代アイドルのキャッチコピーはまだまだあり、この文字列を眺めるだけでも当時のアイドル文化を十分楽しめるのではないだろうか。
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