『シン・ウルトラマン』と『シン・ゴジラ』世界線はつながっている? “特撮オタク”庵野秀明のディープなリスペクト
#映画 #特撮 #庵野秀明 #シン・ゴジラ #シン・ウルトラマン #樋口真嗣
平成「ガメラ」シリーズの特撮監督として知られる樋口真嗣が監督を務め、「エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明が脚本を手がける、樋口&庵野による“新解釈版ウルトラマン”こと『シン・ウルトラマン』が、いよいよ5月13日に公開された。
この脚本・監督コンビは、『シン・ゴジラ』(2016年)に続いて第2弾。庵野秀明といえば、学生時代に自主映画『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(1983年)を制作するなど、“特撮オタク”としても有名でもある。
庵野が「オタクも行くところまで行けばこうなる!」ということを体現したクリエイターのひとりであることは、「エヴァンゲリオン」シリーズからもひしひしと感じるし、彼の“クセ者感”は一般的にも知られていることだろう。
ウルトラマンを手がけることが夢であった庵野は、ウルトラマンのデザインを務めた美術総監督で彫刻家の成田亨が描いた、カラータイマーのないウルトラマンのデザインを“本来の姿”としてリスペクトしており、本作のウルトラマンもカラータイマーがそぎ落とされたデザインとなっているのが特徴だ。
今となってはウルトラマンを象徴的するアイテムでもあるカラータイマーをあえてなくすことで、従来の「ウルトラマン」シリーズとは大きく異っていながらも、本来の「ウルトラマン」が持つメッセージ性を取り戻すものとなっているのだ。
『シン・ウルトラマン』によって、「ウルトラマン=正義のヒーロー」という印象はリセットされるかもしれない。だが、それは「ウルトラマン」シリーズの否定ではなく、むしろ可能性を追求した結果だと知ると、今作の重みが増すに違いないだろう。
【ストーリー】
次々と巨大不明生物【禍威獣(カイジュウ)】があらわれ、その存在が日常となった日本。通常兵器は全く役に立たず、限界を迎える日本政府は、禍威獣対策のスペシャリストを集結し、【禍威獣特設対策室】通称【禍特対(カトクタイ)】を設立。禍威獣の危機がせまる中、大気圏外から突如あらわれた銀色の巨人。禍特対による報告書に書かれていたのは……【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。
徹底的なリアル路線で描く”ウルトラマン”という異星人
『シン・ゴジラ』は、“この日本に想定外の巨大生物が実際に現れたらどうなるか?”をリアルに描いたものだった。庵野作品の傾向からも、『シン・ウルトラマン』も“巨大な異星人が本当に現れたら~”という想定の元にリアル路線の物語になっていることは言うまでもない。
実はこのテイストは、松本人志の初監督作品『大日本人』(07)が先駆けて行っていた。個人的には嫌いになれない作品ではあるし、早すぎた『シン・ゴジラ』ともいえる作品だが、詰めが甘かったと言うべきだろうか、不完全燃焼によって、メッセージ性がいまいち伝わりきれなかったのが難点だった。また、今年には『大怪獣のあとしまつ』も公開されている。それこそ『シン・ゴジラ』のような本格SFとして期待値が高かったものの、まさかのコメディ映画で肩透かしを食らった人も多かったようだ(一部の好事家の間では良質なB級映画として人気を呼んだ)。
はてさて、映画やテレビを通して俯瞰的にウルトラマンを知っている観客としては、ウルトラマンが正義のヒーローだと理解できるのだが、実際に巨大な宇宙人(=ウルトラマン)が現れたとしたら、それが人類にとって希望となるのか、それとも脅威となるかはわからない。そのはざまで決断を迫られる人類の葛藤も描かれている。
このテーマは『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』(01)や『ULTRAMAN』(04)など、従来の「ウルトラマン」シリーズでも扱われていないわけでもないが、それでもどこかで、「ウルトラマン=絶対的なヒーロー」の印象は消しきれなかった。
「ウルトラマン」シリーズも初期作品は、社会問題が反映されており、社会風刺としての側面を感じさせるエピソードもあった(中にはトラウマになりそうなものも……)。しかし、シリーズが続くにつれ、ウルトラマンは“子ども向けのヒーロー”として印象を強めていき、いつしか社会的なメッセージ性は薄れがちになっていた。そういった経緯も含め、『シン・ウルトラマン』にはウルトラマンを本来の姿に戻す、本来のメッセージ性を持たせるという狙いがあるのだろう。
また、「にせウルトラマン」に変身して混乱をもたらしたザラブ星人やメフェラス星人が登場することから、怪獣(禍威獣)からの脅威だけではなく、侵略問題についても触れており、図らずもタイムリーな問題として、ウクライナ軍事侵攻を連想するものにもなっている。
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