「ダウンタウン結成40周年SP」で掘り起こされた爆笑・激コンプラアウト話
#お笑い #ダウンタウン #檜山豊
伝説番組はすべてタブーに…
当時の芸人の世界は、今でいうところのパワハラやモラハラがあたり前の世界だった。先輩は怖く、後輩は従順で、その代わり先輩は何があっても後輩の面倒をみて、後輩は先輩についていく。さらにパワハラやモラハラは時としてネタとなり、先輩も後輩もそれを笑いに変えて面白がることが出来ていた。
今回の『ダウンタウンDX』を見てよりわかるのが、強烈な思い出だからこそ、今も鮮明に脳裏に残り、新鮮に話すことが出来るということ。決してパワハラやモラハラを推奨しているわけでは無く、お互いが信じており、間に絆がある関係あり、どちらも笑えるならばパワハラやモラハラはもはやハラスメントではなく、大人同士が真剣にふざけ合って楽しんでいる姿なのだ。
しかもただふざけているのではない。トーク中にこういう話があった。
当時『ごっつええ感じ』は朝から夜までコントを収録し、それが終わると、演者やスタッフが大勢集まり、次の収録をどうするか夜中まで考える。芸人もスタッフも集まり、大の大人が雁首揃えて、どうやったら人が笑うかを必死に考える。そして気が付くと夜が明けて朝になりクタクタになりながら帰ると。
当時売れっ子だったダウンタウンファミリーですら、そこまでして真剣にどうふざけるかを考えていたのだ。そりゃ面白いはずだし、楽しかっただろう。
ちなみに今まで伝説として語り草になっているバラエティ番組は確実にコンプライアンスに引っ掛かる番組ばかり、と言っても過言ではない。
『8時だよ全員集合』『ひょうきん族』『みなさんのおかげです』『やるならやらねば』『ごっつええ感』『ウリナリ』『ガキの使いやあらへんで』『ギルガメッシュないと』etc。
探せば必ずコンプライアンスに引っ掛かる箇所がある。しかしそのコンプライアンスに引っ掛かるところが面白く、見ている視聴者に衝撃を与え、いまだに伝説として語り継がれていたのだ。
ただ勘違いしてほしくないのは、このご時世だからコンプライアンスに引っ掛かるのではなく、当時だって、引っ掛かっていたに違いないのだ。その証拠に大人は子供に見せたくない番組として『ごっつええ感じ』を挙げている。
想像してほしい。皆さんに子供がいたとして、テレビで東野さんが頭にあんかけをかけられたり、今田さんが低周波治療器で苦しんでいたり、ほんこんさんがボーリングの球をおでこに受けて痛がる姿を見てどう思うか? 間違いなく子供に対して悪影響だと思うに決まっている。真似でもしたらどうしようと困るはずだ。
ただ悪影響だから笑えないということではない。
絶対陰でこっそり笑っている親御さんだってたくさんいただろうし、こんな大人になるなよと反面教師として見せていた親御さんだっていたかもしれない。もし僕が親ならば「彼らはこういうことのプロだから真似するんじゃないよ」と教えていたはずだ。芸人はリアクションのプロなのだ。どんなに痛そうでも、どんなに熱そうでも必ず笑いに変換し悲壮感なんか漂わせない。それが脈々と受け継がれている芸人像であり、コンプライアンスが強くなった今でもその姿を見ることが出来る。多少危険は少なくなってはいるが落とし穴に落とされていたり、トリモチに引っ掛かっているのが何よりの証だ。
時代が進むと共にたぶんコンプライアンスの幅が広がり、今活躍している若手芸人、これから出てくる若手芸人はさらに縛り付けられることになるだろう。
だがしかし、これはピンチではなくチャンスなのだ。僕たちの世代はダウンタウンさんに憧れ、ダウンタウンさんの立ち振る舞いを手本とし、モノマネをすることによりダウンタウンさん表現するある種「芸人の完成形」を追いかけてきた。つまり今までは”憧れをモノマネする時代”だった。しかしこれからの若手芸人はそうはいかない。何故なら彼らが手本とする芸人自体がダウンタウン病とコンプライアンスに挟まれ、現在進行形で試行錯誤している最中だからだ。
これからを担う若手芸人の君たちは昔の芸人を追いかける必要はない。君たち“ダウンタウン病”に侵されていない世代は、コンプライアンスという解毒剤を打たなくても、芸人として健康体でいられるからだ。
だから今試行錯誤している先輩の良いところだけを盗み、コンプライアンスを踏まえた芸、今のテレビに合ったネタ、サブスクでも通用する形態を身につけ、この時代に合った新しい芸人の形を見せて欲しい。
その形こそ次の世代が真似したくなる”新しい芸人の完成形”になるはず。
そしてそんな芸人が出演するコンプライアンスにまったく引っ掛からず、伝説の番組たちに勝るとも劣らない、ハイブリットなバラエティ番組が見てみたい。
新たな伝説の幕開けは、コンプラお笑い界の夜明けぜよ。
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