「うしろシティ」解散後それぞれの活動が示唆する進化した芸人のあり方
#お笑い #解散 #檜山豊
つい先日、お笑いコンビ「ピスタチオ」が5月末で解散するというコラムを書いたばかりなのだが、その翌日にこれまたお笑いコンビ「うしろシティ」が4月末をもって解散するというニュースが流れた。ボケの金子さんはそのまま松竹芸能で芸人を続け、ツッコミの阿諏訪さんは松竹芸能を離れ、個人事務所を作って芸能活動をしていくという旨を発表した。
「うしろシティ」といえば僕がまだ芸人だった頃、MCをやらせてもらっていたライブで初めて2人に会った。その頃はまだ「うしろシティ」ではなく、それぞれが別のコンビで活動していた。ボケの金子さんは比較的前に出るタイプの芸人で、ツッコミの阿諏訪さんは冷静にツッコミを入れるタイプだった。そんな2人が元々のコンビを解散し「うしろシティ」として僕の前に現れたとき、なんだか妙にしっくりきていたのを今でも覚えている。
そのしっくり感は間違っておらず、2009年のコンビ結成からたった3年でキングオブコントのファイナリストになる。その後も13年15年と3度もファイナリストになっているのだ。順位はさほど振るわなかったが、それでも日本中のコントをする芸人の中で10位以内に入った。これは相当凄い事だ。しかも3回も10位以内に入るというのは並大抵のことではない。そんなコント師の上位にいたうしろシティですら解散をしてしまうとは。白目漫才でブレイクしていたピスタチオもまた然りである。
今回は昨今の芸人解散の多さを通して、どうして「売れていた芸人」でさえも解散してしまうのかを元芸人として考えてみたいと思う。
いま皆さんの中で「売れていた」ということは「今は売れていないんだから解散するのは当たり前じゃないか?」と思った方がいるかもしれないが、それは間違っている。
「今売れていない芸人」と「今稼げていない芸人」は必ずしもイコールではない。テレビで見ないだけで稼げている可能性は大いにあるのだ。
例を挙げると「なんでだろう」で一世を風靡した「テツandトモ」。テレビで見ることはめっきり減ってしまったがコロナ前は営業で相当稼いでおり、テレビに出ていたとき以上に稼いでいたと言われていた。さらにコロナ禍の今でも営業だけで年収400万円。少なく感じるかもしれないが芸人が、このご時世に営業だけで年収400万円を稼げているのだから大したものだ。
ちなみにこれは営業に特化したテツandトモならではの話。昔は芸人がテレビ以外で稼ぐといったらもっぱら営業だったが、今は営業以外に稼ぐ手段はいくらでもある。わかりやすい所でいうと「YouTube」や「オンラインサロン」だ。
今や芸人がYouTubeのチャンネルを持つなんて当たり前になってきているし、お笑いに限らず「投資」や「ワイン」「クイズ」など、自分の強みを活かしてオンラインサロンを運営している芸人も数多くいる。
このように芸人が稼げるポイントがテレビや営業だけではなくなったのだ。つまり今は「芸人が好きなことをして、芸事以外でも食べていける時代」になった。まさにこれこそが解散する芸人が増えたひとつの要因なのではないだろうか。
「うしろシティ」や「ピスタチオ」クラスの芸人にとってテレビに出演するというのは、とてつもないプレッシャーとの戦いだ。何か振られたら必ず笑いを取らなければならない。空気を読んで良い返答をしなければいけない。「他の芸人よりも面白いことを言わなければ……」収録中ずっとこんなプレッシャーに襲われているのだ。
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