鍛え抜かれデビューしたXGとグループ再編に向かうリリスク、細分化するフィメール・ラップの現在
#つやちゃん #XG #リリスク
デビューしたてXGとメンバー脱退リリスクとの対比
一方で、その動向について大きな衝撃をもって受け止められたのがlyrical schoolである。“アイドルラップ”のパイオニアとして先頭をひた走ってきたこのグループは、現メンバー体制が不動のものとなりつつあり、同時にそれらラップの相互作用と音楽的挑戦がとめどない進化を見せる中で、待望のニューアルバム『L.S.』をリリースした。しかし7月の日比谷野外音楽堂でのライブを最後にメンバーは4人が脱退、グループは再編成に向かうという。この結末もまた、国内市場の現状について思いを巡らせざるを得ない。
『L.S』の作品としての醍醐味は、徹底したジャンルの越境にある。いつものようにさまざまなトラックメイカーが参加した本作は、トラップをはじめとしてポップパンク、ハイパーポップ、ダブステップ、シューゲイザーに至るまであらゆるビートが同時代のリアリティある音処理で派手に鳴り続けている。5人のラップの応酬も息つく暇がなく、回し車のごとく回転し続けるその運動は、高低差と起伏あるサウンドに個性あふれる凹凸のボーカルが乗るという、おおよそJ-POPの定型におさまりきらない過剰性が極まっている。
XGとlyrical school の音楽は、対比させることでその極端さがより際立つだろう。
XGの装飾なきスムースなミニマリズムと、lyrical schoolの抑制を忘れた過剰主義。統率のとれたトップダウン型の表現と、メンバー個々の躍動を許容するルーズなボトムアップ型の表現。K-POPを意識した様式美と、あくまで日本のアイドル音楽らしいキュートさを基盤にしつつ、それを破壊していくようなパフォーマンス。滑らかな英語詞にこだわるリリックと、日本語の押韻をそこかしこに散りばめアテンションを強調する歌詞。
さらに述べるならば、XGのヒップホップの引用は手段的であり、一方でlyrical schoolにおけるヒップホップは目的的とも言えよう。XGはMVでもグラフィティや車を描写するが、あくまでそれはムードの演出であり、ヒップホップカルチャーからの絶妙なサンプリング加減が優れている。
かたやlyrical schoolはそのグループ名が示す通り、存在としてヒップホップを追いかけ続ける。さまざまなビートが渦巻くトレンドなき現在のヒップホップシーンにおいて、どのラッパーよりも多様なビートを駆使しながら。
中でも、そのヒップホップ性がもっとも結実した曲として「ユメミテル」を挙げたい。「80’sファンク・グルーヴを基調とするが、ラップが乗ることでGファンクの香りが漂い、KASHIFのギター・ソロが入るとPファンクをも想起させる味わいだ」(石川真男、ミュージックマガジン2022年5月号)と評されるその魅力的な楽曲は、実はリリックにおいてもZEN-LA-ROCKのヒップホップ性に満ちた鋭い視点が光っている。
「乗るのはBEATと雲だから/ステージでかく汗DIAMOND/支えるヘッズはCHAMPION/夢の途中なの道半ば/千里の道だって一歩から/流した涙とマスカラ」
ヒップホップの表象を漂わせる「DIAMOND」と「CHAMPION」で押韻が果たされたのちに「一歩から」と「マスカラ」で女性のラッパーとしての存在感がフォーカスされる展開は、後半の「可愛くリップ塗ってカメラの前にてチーズ/たまにココロちょっと折れそう/モヤる悩み揺れる思い」というラインへ繋がり、アイドルラッパーという特殊な存在にピントが送られる。同時に、この曲のフックで歌われる「夢見てる」の反復は、私たちが忘れ得ぬ記憶をもよみがえらせる。このリリック、このメロディ――そう、ヒップホップ史に眠る偉大な女性ラッパー・HACの「SPECIAL TREASURE」ではないか!「夢見てる」の反復は、1996年7月、日比谷野外音楽堂で(!)開催された『さんピンCAMP』にて高らかに歌い上げられた記憶とつなげられるのだ。ZEN-LA-ROCK によって、lyrical schoolはここでHACへのオマージュを捧げながら日本語ラップのルーツそのものであるさんピンCAMPへと接続されていく。
lyrical schoolはそれ自体が目的的にヒップホップであるがゆえ、ラッパーのマナー=〈引退すること〉にならい、いつかはスクールを卒業しなくてはならない。これほどまでにラップスキルを蓄えアイドルに立脚しつつアイドルの型を崩し、ヒップホップ史を行き来する彼女たちは、個性を爆発させ、いつかグループを飛び出してしまうのだ。そのラッパーらしい逃避行を止める権利を、私たちは誰も持ち合わせていない。
同時に、私たちは熟考する必要があるだろう。なぜポスト・ラップとも言うべきスリリングな実験が、いま海外を拠点にした日本人ミュージシャンによって行われているのか。なぜXGは国内アーティストでありながらあのような、優れたパフォーマンスを見せることができるのか。そして、なぜlyrical schoolのメンバーは美しき逃避行を果たしたのか――「ヒップホップであるがゆえに」とは異なる回答が、そこにはあるかもしれない。
それぞれの問いについて、真実は明らかにはならないだろう。だが、ポップミュージックは永遠に鳴り続けるわけではない。それはミュージシャンとリスナーの相互関係が作り出す不定形な営みにほかならず、いま音楽が鳴っている間に、私たちはその振動を捉えていく必要がある。皆が、素晴らしい音楽が、この国からいなくなってしまう前に。
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