K-PRO児島気奈さん、ホームチーム解散に号泣!あふれる芸人愛の思い出
#お笑い #檜山豊 #K-PRO
番組中もうひとつ印象的だったのは、ネタが滑ったとしても児島さんが楽屋に来て「私は好きでしたよ」などと慰めてくれるというところ。芸人なんて面白いと思われたいがメンタルは、豆腐のように弱いやつらの集まりだ。
自分が芸人になったとして想像してほしい。ネタ時間が5分だとしよう。5分間静まり返る場内。どんどん重い空気になっていく。笑わせたいところでまったく反応がない。ツッコミの心が折れてしまい、目も合わせないでツッコミをいれる。携帯をいじるお客さん。早く終わりたいけど客席にある時計はまだ1分しか進んでいない。大声を出しても間を外してもノリツッコミをいれても前に笑いをとったギャグをやってもウケない。何をやっても静かなまま
……どうだい? 怖くないかい? こんなもん、メンタルが豆腐じゃなくてもやられてしまう。そんな中「私は好きでしたよ」と言われたらどれだけ、救われるか。たったひとりでも笑わせられたなら良しとしよう! そしてこのネタはもうやらないようにしよう! これで前に進めるのだ。児島さんの言葉で救われた芸人は星の数ほどいるだろう。
もちろん僕も過去に芸人をやっていたので、児島さんに会ったことはある。ここからは多少というか大半うろ覚えではあるが、児島さんとの思い出を語ろう。
たしか最初に出会ったのはまだ、彼女がK-PROを作る前だったと記憶している。まだあどけない表情だった児島さん(当時は、愛情を込めて児島と呼び捨てをしていた)が、あるライブが終わったときにふと声を掛けてきた。
「今度ライブを主催するんです。もしライブが続いたらいつかホーム・チームさんも出てくれますか?」的なことを言われた記憶がある。なんて返したかは覚えていないが、正直「はいはい、ファンがお笑いライブをやりたいなんて続くわけがない。お客さんを集めたり芸人を集めたり、思ってるより苦労するのに……」と心の中で思っていた気がする。これは嫌味でもなんでもなく、いまでもそう思うはずだ。若手芸人だけでライブをやったときの、辛さをわかっているからだ。
そんなことがあってしばらくするといろんな方面から児島さんがK-PROというのを立ち上げ精力的にライブをしているという噂を耳にし、実際になりふり構わず知名度をあげている姿を、陰ながら見ていた。その時「この人はなんて、気が強くて負けず嫌いだな」と思ったとか思わなかったとか。
それから何度かK-PROさんが主催するライブに出させていただいたことがあった。その時は僕が、芸人を辞めるなんて微塵も思っていなかったので、他愛もない会話くらいしかしなかった。
そして児島さんとの一番印象に残っている思い出は、僕が組んでいたホーム・チーム解散ライブのリハーサルへ来てくれたときのこと。リハーサル終了後、僕たちのもとにやってきた児島さんは号泣していた。その顔を見て僕はとても嬉しくて、とても感動して、そしてとても申し訳なかった。僕はそれを誤魔化すかのように、泣いている児島さんの顔を携帯で撮った。
その時どんな会話をしたのかあまり覚えていなかったので直接、児島さんに連絡を取り、覚えているか聞いてみた。すると児島さんはそのときのことを覚えていた。どうやら僕は泣いている児島さんに対して「与座は続けるから。与座は続けるから」と笑いながら泣き止まそうとしたらしい。そのとき児島さんは「そういうことではない!」という気持ちでいっぱいだったそうだ。
そして最後に交わした会話は「本当にありがとうございました!」と頭を下げた児島さんに「与座を頼むな」と言っていたらしい。なんとまあドラマチックなセリフなこと。冷静になると顔から火が出てしまうが、人生で一度だけの解散なんだからそれくらい許容範囲だろう。ちなみにくしゃくしゃになった彼女の泣き顔は今でも、鮮明に覚えている。
彼女を見ているとこれだけは言える。誰になんと言われようと、どれだけ人にバカにされようと、自分のやりたいことを貫き通せばいつか華が開き、そして認められると。
彼女の会社は18年からタレントのマネジメント業務を始めた。新しい事を始めたということは彼女にとって今はまだゴール地点じゃない。これからも変わらず誰になんと言われようと目標に突き進む覚悟を決めたということだろう。
そんな児島さんに僕から言えることはたったひとつ。
「これからの若手を頼むな」
……またカッコいい事を言ってしまった。
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