『マツコ会議』浜口京子&アニマル浜口の哲学とキャラクターと“プロレス”
#浜口京子 #マツコ会議 #アニマル浜口
4月23日放送『マツコ会議』(日本テレビ系)に浜口京子がゲスト出演した。以前より“マツコ愛”を公言している京子が同番組に馳せ参じたのだ。この日の収録を、彼女は待ちわびていたらしい。
京子 「今日はもう、私おかしくなっちゃってるくらい……」
マツコ 「いや、京子ちゃん大丈夫。いっつもおかしいわよ(笑)」
「おかしい」と思われている浜口京子。出演にあたり、彼女が選んだ衣装は黄色いシャツにグリーンのロングスカート。大胆な原色使いに、マツコは「アグレッシブよ! 子どもが描くひまわりみたい」と表現したが、ウクライナの国旗を意識していると勘ぐるのは穿ち過ぎだろうか? 穿ち過ぎなのだろう。
父が説く哲学「ジョッキにビールは半分しか入っていないが、実はいっぱいなんだ」
4月8日放送『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)で、フワちゃんから「(京子)と1対1は無理」と言われるほど、ギリギリの存在としてバラエティを席巻する彼女。いつからこんなキャラクターになったのだろう?
そんな疑問が頭をもたげたのは、ちょうど30年前、つまり92年のある映像が番組内で紹介されたからだ。『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)の1コーナーだった「浜口親娘の3分間健康体操」のVTRである。
まず、父・アニマル浜口の横に立ってはにかむ当時14歳の京子がメチャクチャ可愛い。そんな2人が行ったのは、タオルを握って引っ張り合う“引っ張る運動”である。タオルを引き合いながら会話を交わす父娘の姿が『マツコ会議』ではダイジェスト的に紹介されたが、改めてやり取りの全容を以下に記したい。
アニマル 「(タオルを引っ張りながら)大丈夫か?」
京子 「(小声で)はい」
アニマル 「(カメラに向かって)相手にこういうふうに聞いてやることが1つのコミュニケーションですね。これで親子の対話ができます。(京子に向かって)がんばれよー。力入ってるかー。入ってるかー?」
京子 「(小声で)はい」
アニマル 「自分に対していいかげんにするなよ!? 嘘ついたってパパはわかってんだからな!」
京子 「(力を込める息遣い)」
アニマル 「よーしっ、いけー! いたわりの中にも、厳しさがなきゃいけないんだ。よしっ、まだまだこい! お父さんに向かってこい、勝てるかこの野郎、こい! ほらーっ!」
「いたわりの中にも厳しさ」とアニマルは言ったが、当時のプロレスファンは京子のことを100%いたわりの感情で見ていた。若干14歳である。普通なら親離れの時期だ。一方、父・アニマルの素顔は真面目で物静かな好人物。カメラの前やリング上の姿は、本来の彼のキャラクターではない。たぶん、当時の京子は「あ、今のお父さんはプロレスラーをやっているな」と思っていたはずだ。
“プロレスラー”アニマル浜口に困惑する“娘”京子の構図を見て、マツコは笑った。
京子 「私が13歳のときに新日本プロレスの(中継の中で)3分間体操コーナーっていうのがあったんですけど。それをマツコさんの番組で取り上げてくださって、スタジオで見てくださるマツコさんが笑ってくださるのが、スゴいうれしくて」
マツコ 「いや、あれは笑いますよ(笑)」
アニマルと京子のやり取りを見て笑うか真面目に見るか、そこは紙一重だ。いや、当時のプロレスファンはほとんどが真面目に見ていた気がする。なぜなら、アニマルの人物像を知っていたから。87年にプロレスラーを引退したアニマルは、かつての盟友・長州力の精彩を欠いた試合ぶりを見て居ても立っても居られず、リングに乱入。長州への襲撃をきっかけとし、90年にカムバックを果たした。
長州に馬乗りになり、「燃えろー!」と張り手を連打したアニマル。その日、しばらく彼は興奮が収まらなかったそうだ。テンションが昂ったアニマルは、新幹線で見ず知らずの女子高生にわざわざ弁当をおごり、自分の哲学を延々語った、というエピソードが「週刊プロレス」記者に確認されている。
やはり、紙一重だと思う。見ず知らずの人に夕食をおごり、一方的に語りかける濃さ。笑っていいのか、真面目に見るべきなのか紙一重だ。92年2月8日放送『ワールドプロレスリング』では、浜口家が営む料亭「香寿美」で、トレーニング後の2人が語り合う(というか、アニマルが一方的に話しかける)模様が放送された。その内容は、岡村正史著『世紀末にラリアット』(エスエル出版会)に詳しい。
「浜口はビールの大ジョッキを半分ほど飲んで、『いいか、京子、このジョッキは半分空っぽだが、実はいっぱいなんだ。その意味がわかるか』といった内容の“説教”をとうとうとしている。かたや京子ちゃんのほうは涙を流して終始無言である。
私にはこの涙の意味が理解できなかった。厳しいトレーニングの後でホッとしたせいなのか、父親の“説教”のせいなのか、まったくわからなかった。しかし、なぜかしら胸打たれるものがあった」
中学時代にこの放送を見た筆者は、強烈なインパクトを受けた。「ビールは半分しか入っていないが、実はいっぱいなんだ」という論の真意が、まるでわからなかったからだ。哲学者・入不二基義の言う「何も無いという形で生き生きと在る」的な解釈でもない。ジョッキの余白を指し、「これは心なんだ」とするアニマルの結論は独りよがりでもある。でも、2人のやり取りを見てなぜか感動した。
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