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#週刊誌スクープ大賞
ポストの「SEX特集」を批判する“未経験”哲学者の金言
和歌に「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平朝臣)というのがあるが、たえてSEXのなかりせば、人の世はのどかなものだろうと思う。
哲学者の仲正昌樹教授は8年前、ポストのSEX記事を「無意味だ」と批判したという。「死ぬまでSEX」というやつかな。
ご本人は、女性経験がないとおっしゃっているようだが、写真で見る限り、なかなかスマートでダンディとお見受けした。
哲学にのめり込み過ぎて、女性の存在を忘れ、女性と何するのも忘れたということか。
だが、SEXという煩悩の塊をどうするのかは、哲学的な命題ではないか。女なくて、何の己が男かなではないのか。
だがポスト編集部はいかん。24歳の若造を聞き手に行かせてはいけない。私がその年の頃は、一日中SEXのことばかり考えていたぞ。モテるモテないなど関係ない。穴があったら入りたい(失礼な表現でしたな)、妄想の塊だったな。
仲正教授のいうように、童貞なんぞを意識しすぎているからで、そもそも捨てるほどのものではないのだ。
教授が女性と性的な関係をもたなかったのは、忙しくて、パートナーを欲しいという孤独を感じたことがないからだそうだ。
女性はなかったかもしれないが、同性はと聞こうと思ったが、やめておこう。
仲正教授、SEXを否定しているわけではない。
「ヒトの人生にとって重要なことであることは間違いない。セックスのおかげで人類の歴史はここまで繋がってきたんだから。しかし、個人にとって必ず必要かといえば、そうではない。事実私はこうして生きていますし、仕事関係で『お前は半人前だ』なんて言われることはありません。
ちょっと昔を振り返れば、妻帯を許されず性交を持たない聖職者がトップに立つ社会もあったわけです。社会を維持していく上で全員がセックスしないといけないというわけではなくて、実際に出生時の男女比を見ても男性が少し余るはずですから。そこにこだわる必然性はそもそもない」
仲正教授は、この年齢になっても仕事や研究に打ち込めるのは、女性経験がないからだといわれる。
その通りである。それはSEX云々ではなく、SEXしたさに女性に惚れたふりをし、結婚にまで追い込まれた我々高齢者が、つくづく今思っていることだ。
女房という存在がなければ、どんなに春の心はのどかだろう。後悔する身に桜吹雪が散りかかる。久しぶりに吉原のソープランドへでも行ってみようか。そうは思っても、恥をかいたらいやだな。20代のあの日に帰りたい。
さて、不可思議な話である。
4月12日午後10時ごろ、家の鍵を持って侵入した女が、就寝中の女性の腹部や背中をメッタ刺しにした事件が発生した。
重傷を負った女性はかろうじて命が助かり、一緒に寝ていた0歳児は無事だった。
JR金沢駅から離れた静かな金沢のベッドタウンでその惨劇は起きた。
殺人未遂などの疑いで逮捕されたのは佐藤果純(35)。被害女性の夫が勤めている介護福祉施設で共に働いていた先輩だという。
職場の同僚で、合鍵を持っていたとなれば、不倫関係のもつれで、佐藤が逆上して犯行に及んだと誰しもが思うだろう。佐藤も結婚はしているが、夫婦仲はよくなかったようだという証言もある。
だが新潮によれば、小さな職場にもかかわらず、介護施設の社長が聞き取り調査を行っても、2人を不倫関係だと思っている者はおらず、「まさかあり得ないでしょう」という感じだったというのだ。
その夫が、見てくれの悪い男性だったのではない。地元のビジュアル系バンドでベースを弾くイケメンだというのだ。
だが気が弱く、はっきりしたことをいえないタイプだそうだ。
そして佐藤にはストーカートラブルの過去がある。一方的に好きになった佐藤が、カギを盗んで、凶行に走った? 真実は、藪の中のようだ。
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