『ちむどんどん』沖縄占領下で使われたのはドルだけではない―B円通貨をどう描くのか?
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米軍によるB円からドルへの法定通貨切り替え
58年9月16日、琉球列島米国民政府高等弁務官はB円であるB型軍票を廃止して沖縄における法定通貨を米ドルに定める。
沖縄県公文書館のウェブページなどによると、米軍は、国際基準通貨である米ドルへ移行すれば、沖縄の経済発展のために必要な外国資本が積極的に導入され、雇用創出と新しい技術導入もできると考えたようだ。
9月16日から20日の間に1ドル120B円と、B円高の比率での通貨交換が実施されたという。
この時点で沖縄現代史のあだ花ともいえるB円は表舞台から消えた。しかし、B円は貨幣コレクターの間で根強い人気を保ち、メルカリなどのフリーマーケットでは今も高値で売買されている。
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物価高に喘ぐか暢子とその家族たち
B円が消え、米ドルは沖縄が本土に復帰する1972年5月15日まで主要通貨として使われる。当然の事ながら官民問わず、給与も米ドルで支払われていた。加えて米ドルは日本本土でも長らく1ドル=360円の固定レートで交換されていた。
しかし、返還前年の1971年(昭和46年)8月15日に起きた「ドル・ショック」が沖縄県民にも衝撃をもたらす。ニクソン米大統領はこの日、突如、米ドル紙幣と金の交換の一時停止を発表する。これまで1オンス=35米ドルの比率で交換されていた固定レートは一気に崩壊する。ドルの価値も急落し、円ドルの交換比率も1ドル=360円の固定相場制から変動相場制へと移行することになる。
ドル交換レートも305円となり、ドル資産だった沖縄県民の資産目減りは必至となった。こうした状況に琉球政府(当時の沖縄における日本側統治機構)は日本政府に掛け合い、目減りした差額分を日本政府が補償するよう持ち掛けた。
ただ、沖縄はまだ米軍統治下。復帰に伴う円ドル通貨切り替えに関して1ドル=360円レートで交換されるよう求める声が上がり始めるなど、混乱も予想されたため、差額の補償準備は琉球政府と日本政府との間で極秘に準備が進められた。
沖縄県民が持つドル現金及び貯金の確認は1971年10月9日の一日に限り行われ、確認された資産については本土復帰後に差額分(1ドルあたり55円)を日本政府が補償することで以前の固定返還レート1ドル=360円が維持されることになった。
22年1月24日付の読売新聞、「沖縄返還50年」の連載記事によると、混乱を防ぐため資産確認のことはぎりぎりまで伏せられ、公表されたのは前日の10月8日だったという。9日からは広報車が沖縄中を走り回り、午後10時までに銀行や公民館の特設窓口で確認を終えるよう周知した。確認されたドル資産は計6000万ドル。日本政府は貯金なども合わせ約300億円の差額を補償したという。
しかし、沖縄本島の北部のやんばる地域の山原村(ドラマ上の架空の村)に住むヒロイン暢子の比嘉一家には通知が最後まで行かないのではと、今から心配してしまう。人は底抜けに良いが世情にはとことん疎い暢子とその家族たち。日本政府による損失補償があることも知らず、目減りしたままのドルを円に交換し、復帰早々に物価高による生活苦に喘ぐ姿を今から想像してしまう。
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