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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > “これ以上に美しい流れはあり得ない”

庄村聡泰(ex-[Alexandros])、藤井風『LOVE ALL SERVE ALL』に“これ以上に美しい流れはあり得ない”

既発曲をこれ以上ないまでによく聞かせるアルバム

 さて、タネを明かそう。これまでの記述は全て、藤井風に対する謝罪、その長い長い枕である。

 結果筆者の矮小な脳髄にて推論され得る事などこの程度だったのだ。格の違いを見せつけられて、こんな事を考えていた自分を心から恥じている。前作の「優しさ」から引用すれば”ちっぽけで からっぽで 何にも持ってない 優しさに 触れるたび 私は恥ずかしい”のだ。ここに至る迄の思いも全て彼の手の中だったのだろうかとすら思えるも、それも今作で掲げられている”全てを愛し、全てに仕えよ”の精神に則ればきっと俺の痛々しいファン心も存在を認めてくれる筈だ。「燃えよ」を引用すれば”恥かいてもええよ”なんでしょう? なので威風堂々、開き直る事に致します。

 いやあ、ガーデン(アルバム収録曲)。

 間違えた、さーせん。

 上述した通りの曲順に於ける好みとは所謂”入口出口が既発曲だとニューアルバムなのに既視感”への不安からだったりするのだが、逆を言えば入口出口に安心感を与える事により中盤の新曲で思い切り聴き手をブン回す事が出来たり、また、合間に入る曲の解釈によっては既発曲に新たな輝き、驚きを与える事も出来る。

 今作の曲順についてはもう単純に”これ以上に美しい流れがはあり得ない”この一言に尽きる。流れだけでなく語呂の良さまで完璧な「きらり」「まつり」と来て「まつり」の”和”な意匠を華麗に纏って生まれ変わった「へでもねーよ(LASA edit)」の流れ。

 その荘厳さには思わず息を呑み、その無垢な語り掛け(”歌”と言うよりはむしろそう聴こえた)には思わず畏怖の念すら覚えてしまう「それでは、」から「”青春病”」の清涼感一杯のフレーズに差し掛かった瞬間の開放感(アルバム版ではシングル版にあったざわめきがカットされ、代わりに冒頭が「それでは、」のピアノと繋げられている)。そして最終曲に配置することでタイトル歌詞内容全てがより重みを増して聴こえる「旅路」。

 つうか既発曲は全部もうこれ単曲で聴くよりアルバムの流れで聴く方が遥かに何つうかこう、自分の中にスッと”落ちて”来た様な感覚が、快感が、あった。元々愛聴していた曲をアルバムの一部として味わう方がより、こんな感覚をもたらしてくれるだなんて。各曲が最初からアルバムのピースとして制作されたか否かはいざ知らずであるが、どう考えたって美し過ぎるのだ。

 ううむしかしここまででかなりの文字数となってしまった。が、どうしてもどうしても言及しておきたい曲が2曲。

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