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スタンダップコメディを通して見えてくるアメリカの社会#26

結局、クリス・ロックは許されるのか? 米スタンダップコメディからの回答

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 第94回アカデミー賞授賞式で、俳優ウィル・スミスがコメディアンクリス・ロックから妻の容姿をからかわれたことに対する「ビンタ事件」が連日、アメリカでも大きく報道されている。このセンセーショナルな一件は瞬く間に大きな話題となり、本年度受賞を果たしたどの作品よりも人々の記憶に残る形となった。

 そもそもクリス・ロックとは、アメリカ国内でその名を知らぬ者はいない伝説的スタンダップコメディアンで、過去にも授賞式のホストを務めるなどオスカーとの関わりも深い。90年代にスターダムに上り詰めて以来、多くの後進コメディアンに影響を与え続けてきた。その芸風は、自身の黒人性を軸にしながらも、普遍的なテーマを笑いに変えることが特徴として挙げられ、忖度せずに際どいジョークを全方位に投げかけることでも知られている。そのため「炎上」することも茶飯事で、2016年にオスカーの司会を務めた際には、アジア人少年のステレオタイプいじりが批判の対象にもなった。

 そんなクリスの今回のいわゆる「容姿いじり」ジョーク。アメリカでは近年、他者の容姿を自分の物差しでジャッジする行為が「ボディ・シェイミング」と呼ばれ、忌み嫌われている。この風潮は日常会話のみならず、コメディの舞台でも見られ、現在ほとんどのスタンダップコメディアンが他者の容姿をいじるネタを避けている。

 そもそもアメリカのスタンダップコメディの歴史を見てみると、専用劇場がまだなかった1940~50年代にはナイトクラブやキャバレーで芸が披露されていたため、酔客向けのテンポのいいジョークが好まれ、その結果、観客の容姿をコメディアンがあげつらうネタが盛んになったという背景がある。この「伝統」は後世にも受け継がれ、クリスが活躍しだした90年代や00年代に入っても一般的だったが、この5年間のうちに社会の変化とともに、容姿ネタは「自虐」を除きほぼ見られなくなり、前時代的なものと見なされるようになった。

 スタンダップコメディアンとして舞台に立つことを生業にしている「同業者」として、筆者は今回のクリスのジョークを擁護するつもりはない。

 一部の報道ではジェイダの脱毛症をクリスが「知らなかった」とあるが、言い訳にはなり得まい。時事刻々と変わるその時代の「ギリギリ」のラインに敏感であることが求められているスタンダップコメディアンという表現者だからこそ、「無知」でステージに立つことは罪になり得る。「知らなかった」ではすまされないのだ。

 また、会場に詰めかけたセレブ俳優をスタンダップコメディアンが舞台上から「パンチダウン」する(こき下ろす)のが慣習になっているハリウッドであるが、それでも他者の容姿、ましてや病気のことをジョークにしていいはずなどない。

 それだけにこれだけ影響力も実績もあるレジェンドが「ライン読み」を大きく見誤ったことは、ただただ残念でならない。

 アメリカ国内でも実は、クリスのジョークをかばう意見は少ないが、しかしそれ以上に舞台上で直接的な暴力に訴えたウィル・スミスへの批判が大きい。

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