アフリカ系外国人から「おめでとう」が届く…バズりまくる“サプライズ動画”が抱える差別問題
#人種差別
「支援になっているからいいだろう」でいいのか
総合して考えると、「見知らぬ“黒人マッチョ”が、本来は彼らがおよそ言わないであろう日本語メッセージを伝えてくる」という構図が、この動画の“面白さ”の根幹にあるのではないか。それが「差別なのではないか」という感覚につながっているのだと考えられる。
サービス名で検索をかけると、同様の感想を抱いた人は少数だが散見される。だが、そうした疑問の声に対して利用者やそれを楽しむ者からは「このサービスは彼らの支援になっている(=『差別的だ』という者たちこそが彼らの生活を脅かす)」という意見が返されている。なお、サイト上では、ユーザーが支払った額面のうちの何割が出演者へ支払われるかといった具体的な金額に関しては公表されていない。
この動画サービスが差別的だと感じるのは、個々の感覚の問題なのだろうか? 『野蛮の言説 差別と排除の精神史』(春陽堂ライブラリー)の著者で、アフリカ系文化に造詣の深い早稲田大学法学学術院准教授・中村隆之氏に話を訊いた。
「結論からいえば、この動画は明らかに“見世物”です。こうした動画を楽しんで消費する人たちにとって、画面の中で起きていることは、自分たちが生きているリアリティとは完全に切り離されている。なぜこれを『面白い』と感じられるのかといえば、自分たちが多数派であり安全圏にいて“見世物”を見ているからなのではないでしょうか」(中村氏)
同時に、人気プランである「黒人マッチョ」のような書き方・くくり方にも問題は潜んでいる。
「こうした表現のもとに提供されるサービスを消費するとき、私たちの価値観には『アフリカの人はマッチョなんだ』『ウクライナにはきれいな人が多いんだ』といった反応が刷り込まれます。2020年6月にNHKの番組アカウントがブラック・ライブズ・マターについて解説するアニメ動画をツイッターに掲載した際、マッチョな黒人男性という表象を用いて問題視されました。こういったステレオタイプを再生産することは、私たちの先入観を強めることにつながります」
『野蛮の言説』では、19世紀前半にイギリスで“見世物”にされた女性サラ・バートマンの半生が紹介されている。彼女はケープ植民地で生まれ、家族とともに農園で奴隷に近い身分で働いていた。そこで農園主の友人だったイギリス人医師が彼女を見世物として興行することを思いつき、イギリスに連れていった。
その後、フランスに渡ったサラは、子サイと並んで檻の中で展示される。見物料は3フランだったとされている。サラは次第に酒に溺れるようになり、アルコール依存と肺炎(天然痘という説もあり)が原因で、20代後半という若さで亡くなった。その遺体は型取りをされたのち解剖され、最後はホルマリンの液浸標本にされ、1968年まで展示されていた。当時のヨーロッパにおいて、「アフリカ人は自分たちより劣った、猿に近い人種」というのが定説となっており、さまざまな分野で研究対象となっていた。彼らのサラに対する仕打ちは“当たり前”で、さらにいえば“最も知的な態度”だったかもしれない。
現代で考えると心底ぞっとする話ではある。しかし、彼女を“見世物”として消費していた感覚は、世界からのサプライズ動画を見て面白がっている我々の感覚と地続きなのではないだろうか。
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