『鎌倉殿』で源頼朝、木曽義仲らが「源氏の棟梁」を名乗る理由と、親の“ステイタス”
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「武家の棟梁」の看板が似合うのは木曽義仲のほう?
頼朝・義仲たちは、源氏の諸家のグループでは「河内源氏」の区分に属しているのですが、木曽義仲の父・源義賢の経歴は、異母兄の義朝(=頼朝の父)に比べて“華麗”なのです。保延5年(1139年)、時の東宮・体仁親王(のちの近衛天皇)の“警護部隊”の隊長に抜擢された義賢は「東宮帯刀先生(とうぐうたちはきのせんじょう)」と呼ばれ、宮廷社会に食い込むことに成功しています。一方で義朝は無位無官のまま関東に下向しました。少なくともこの時点においては、義仲の父・義賢こそが(全源氏の棟梁といえるかどうかは不明ですが)河内源氏の棟梁を自称するくらいなら問題なかった「かもしれない」ですね。
しかし早くも翌年の保延6年、義賢は足元をすくわれてしまっています(このツメの甘いところは、義賢・義仲父子の共通事項だといえます)。ある殺人事件の犯人を捕らえたところ、その犯人と義賢につながりがあった(のでは?)とされ、警護部隊の隊長職を解任されてしまったのでした。そして、2012年の大河『平清盛』で山本耕史さんが熱演していた「あの」藤原頼長の寵愛を受け、彼に仕えることになりました。
藤原頼長は、有名な男色家でした。彼が寵愛した別の男性たちの肖像画を見る限り、ゴリラかイノシシのような人物が目立ちます。義賢の(ひいては義仲の)容姿がどうだったかはわかりませんが、美形というよりは「ワイルド」だったのかもしれません。
頼長の日記として有名な『台記』によると、久安4年(=1148年)正月五日の夜、頼長と義賢は「臥内」……つまり寝床を共にしたわけですが、宮中の正月行事の合間を縫って密会するほど親密な関係であったのでしょう。この時、義賢に押し倒されたあげく、乱暴にいろいろされてしまった頼長は、「無礼に及ぶが景味有り」……最初はイヤだったけれど、その後は良くなってしまったなどと赤裸々な告白をしています。
ただ、二人が親密な関係であり続けたかは不明です。その後、義賢の名が頼長の日記に登場することはなく、次に彼について語られたのは、例の正月の密会から約7年後、「源義賢(中略)於武蔵国見殺」……義賢が武蔵国の平野(現在の関東平野を指す)で見殺しにされてしまった……という訃報でしたから。
義仲は数え歳2歳の時に父親を失いますが、自分の乳母の夫である中原兼遠に預けられ、彼の勢力圏である木曽谷(現在の長野県)で養育されることになります。木曽義仲と彼が呼ばれる理由ですね。
成長後の義仲の身体は大きく、運動神経抜群、武家の必須能力である騎馬や弓矢の腕も良いという典型的な軍人タイプで、政治家タイプの頼朝に比べ、「武家の棟梁」の看板が似合うのはむしろ義仲だと見てもよかったかもしれません。
現時点でのドラマではまったく描かれていませんが、義仲もまた、以仁王の宣旨によって挙兵をしています。頼朝が平家への攻撃をいったん中断、軍事政権を鎌倉に築いている最中も、義仲は、平家にとっては重要な年貢の取り立て先である穀倉地帯の北陸五カ国を軍事侵略し、平家の生命線を奪おうとしている男として都の人びとから恐れられていました。史実の頼朝にとっても頭が痛い存在だったと思われます。
ちなみに第13回「幼なじみの絆」の予告映像の中で、巴御前(秋元才加さん)が義仲のことを「幼なじみ」と言っていたのは、彼女の兄が中原兼平だからでしょうね。『平家物語』などでは「今井兼平」として有名なこの男は、義仲の乳母子にあたるのです。
今後、ドラマでも描かれていくでしょうから言及は避けますが、義仲は頼朝よりいち早く京都に攻め上っています。これを史実の頼朝が意識しなかったハズはないでしょう。『鎌倉殿』では、義仲役の青木崇高さんの野性的な風貌から見るに、軍事の天才だが、仲間内以外の人心把握能力も低ければ、政治力もないという“定番”の義仲像が描かれていくような気がしますが、今後の放送が楽しみです。
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