「亀の前事件」北条政子の“冷徹な判断”と、牧宗親の『鎌倉殿』における設定の謎
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──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
『鎌倉殿の13人』第11回「許されざる嘘」は、なかなか唸らされる展開が続きました。伊東祐親とその子は史実でも、罪を許された後に自害して果てるという、現代人には理解しがたい死を遂げています。しかしドラマでは、それは表向きの話で、実はオリジナルキャラの善児による暗殺だったというストーリーになっていました。その善児を梶原景時が雇用したことも含め、三谷流の演出が光っていたと思います。
また、以前のコラムでも触れたように、史実では兄・頼朝との再会以降の源義経の動向は明らかではないのですが、ドラマの義経(菅田将暉さん)は、頼朝からの寵愛が自分よりも深い(と彼には思われた)兄・義円(成河さん)に嫉妬し、鎌倉から出て行かせるために嘘をついて義円を騙すというのも面白かったですね。明らかに義経が悪いのですが、頼朝の関心を引こうとする義経の姿に視聴者が同情するように描かれていました。筆者の知り合いのBL編集者いわく、彼の担当する作家さんたちがこぞって推しているのが菅田将暉さんだそうです。これまでの「大河」では淡白にしか描かれることはなかったBL要素ですが、今年は義経と頼朝の濃厚な“ブロマンス”描写を期待できるかもしれません。
さて、今回は第12回のメインテーマになるであろう「亀の前事件」について触れますが、その前に、この事件に絡んでくる「りく」(宮沢りえさん)について語りましょう。「りく」は史書では「牧の方」と呼ばれることが多い女性です。本名は不詳ですが、彼女もまた、義時の氏名不詳の妹がドラマでは「実衣」とされているのと同様に、「りく」と名付けた上で、史実とは少々異なる設定・属性を与えられているようです。
たとえば最近、りくの兄として描かれる牧宗親(山崎一さん)という、狩衣姿でいかにも公家っぽいビジュアルのキャラクターの出番がちょくちょくありますよね。しかし、史書における牧宗親は、りく(牧の方)の兄ではなく、父親とされていることのほうが圧倒的に多いようです。兄とする資料もあるので誤りではないのですが、ここにも何か三谷さんによる工夫が隠されているのかもしれません。
ドラマの牧宗親は「京都から来た兄」とりくから紹介されていましたし、本連載でも「牧家=京都の公家」という設定のもとに牧の方=りくについて説明してきました。しかし、改めてリサーチしてみると、ここでも三谷流の読み替えがなされていることがわかりました。
牧家の歴史は、平安中期の都で強い勢力を誇った藤原隆家(=清少納言が仕えた中宮定子の弟)の子孫が没落して京都に居場所がなくなり、駿河(現在の静岡県)あたりに下向して「牧」の名を名乗ったことに始まります。そして当地で、時の権力者・平家の荘園を管理するなどしてその利益の一部を収入として得ていた一族に連なるのが牧宗親であり、その娘を「牧の方」(史実では氏名不詳)だと考えるのが主流のようです(『尊卑分脈』など)。定説といえるものはないので、(拡大)解釈しても誤りというわけではありません。
また一説には、駿河国大岡牧(現在の沼津市)を預かる下級官吏・牧宗親の娘が「牧の方」であり、牧家は平頼盛に仕えている一族だったとされています(『愚管抄』)。大岡牧の領地は、北条の領地のすぐ西方に位置していました。ここから、牧宗親と北条時政が昔からの顔見知りで、時政が京都に赴任していた頃に、同じく京都にいた宗親の娘(あるいは妹)である「牧の方」とも知り合った……と考えることもできます。
平家の荘園管理を任されていた牧宗親は、京都と地方を行き来していたと考えるほうが自然でしょう。都との縁が深い一族であれば、地方に家族ともども完全移住してしまうより、当主や一家の男性は地方と都を行き来する生活を送って金を稼ぎ、家族の女性は京都在住のままにしておくケースも多かったのではないでしょうか。都のほうが、女性は良縁が期待できたからです。「実衣」や「りく」など、一般的に知られている名称とは大きく異なる名前を与えられたドラマのキャラにも同じことが言えそうなので、背景をさらに掘り下げると面白いかもしれませんね。
いずれにせよ、牧宗親は史実では平家に仕えていた駿河国の武士であり、京の公家の一族かのようなドラマの設定には三谷さんなりの考えがありそうです。
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