『鎌倉殿』の「クレイジー義経」は『義経記』に忠実? 弁慶をだまし討ちしたエピソードも…
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『義経記』の義経は『鎌倉殿』の「クレイジー義経」に近い?
室町時代成立の『義経記』に見られる義経の(少年時代の)外見描写はさらに興味深いといえるでしょう。「きはめて色白く、鉄漿黒に眉細くつくり」……色が白く、お歯黒をして、眉も細く整えている、つまり日常的にお化粧をしている「メイク男子」として描かれているのです。それでいて『義経記』の義経の性格は、『鎌倉殿』で菅田将暉さんが自由奔放に演じている義経のように、あるいはそれ以上に衝動的かつ残酷なのでした。
外見だけは美しい女性のような少年が、大人顔負けの暴力的な衝動に突き動かされている姿を(『義経記』が成立した)室町時代の人々は魅力的に感じていたのかもしれません。元祖ビジュアル系の美学とでもいえるでしょうか、少なくとも『義経記』に描かれた義経の飛び抜けた美しさは、彼の残酷さをより鮮やかに際立たせるための演出だったと筆者は考えています。
しかし『義経記』の義経の内面は、子供の頃からだいぶ“サイコパス”気味なのです。『鎌倉殿』の弁慶の人物紹介ページでは、「五条の大橋で運命的な出会いをして以来、義経の器量に心酔し、献身的に支える」という記述がありますね。これは明治期に作られた童謡『牛若丸』を下敷きにしている設定だと思われます。
『義経記』では、二人は五条大橋で出会ってはいません。また、弁慶もかなりの変人なのですが、義経はそれを上回る変人として描かれています。同書では京都・五条あたりの街かどで、腰に名刀を挿している義経(正確には、当時は牛若丸あるいは遮那王)に弁慶が「その刀を私にくださいませんか」などと妙に丁寧に話しかけて断られ、両者がケンカをするという散々な初対面だったとされています。
当時の弁慶は、刀を千本集めるのがいっぱしの人間として世間から認められる条件だが、それを買うための金が自分にはない、だから他人から取り上げるしかないという“妄想”に取り憑かれてしまっていました。清水寺のあたりで二人は再会し、二度目の大立ち回りをするのですが、やはり義経が勝利します。
義経は向こう見ずに自分に討ちかかってくる弁慶の「勇敢さ」に興味を示し始めます。しかし、「一人で歩くのは退屈だから、あいつをオレの家来にしよう」と思うのはまだいいにせよ、「あいつが次にかかってきたら軽くケガを負わせてから生け捕りにして、家来にしよう! あいつ、オレが(清水寺の)観音堂から帰るときにまだ近くにいるといいな」などと恐ろしげな計画を頭の中で巡らせるあたり、かなりのサイコパス感が出ている気がします。
またも義経を襲おうとする弁慶は近くにいるどころか、義経が祈祷中の観音堂に押しかけてくるのですが、この時、用意周到な義経は自分だと悟られないように“女装”していました(原文では「女の装束にて衣打ち被き居給ひたり」)。女装の理由までは原文では説明されてはいませんが、弁慶が自分を探してキョロキョロとしているスキを狙い、斬りかかるのに有利なタイミングを見計らうためだと思われます。このずる賢さは『鎌倉殿』の義経に通ずるところがありますね。
こうして、二人は(文字通り、清水の舞台から飛び降り)三度目の派手な真剣勝負をするのですが、最後には義経に馬乗りされ、ボコボコにされた弁慶が「あなたの家来になる」と約束を交わすのでした。『義経記』のこういうゴチャゴチャして暴力的な経緯をスッキリ美しく翻案したのが、童謡『牛若丸』の歌詞です。
ただ、『義経記』の義経は、兄・頼朝に対してだけは『鎌倉殿』の比ではないほど、愛情に溢れ、忠実なところを見せています。頼朝の挙兵を知ると、『義経記』の義経は、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡に相談の上、三百騎だけを連れて急ぎに急いで関東(坂東)を目指すことにしました。ただ、この時も「百騎が十騎になっても構わぬ」などとあまりに急かすので、頼朝と合流する頃には三百騎がわずか「五、六十騎」になっていたそうな。『義経記』は、いわゆる歴史物語のひとつであり、フィクションなのですが、これが本当に“将の器”たるべき人物の行動といえる描写なのかは不明です。
義経は頼朝との再会を果たした直後、対話はおろか、返事さえできないほど感動の涙を流していたと、『義経記』にはあります。『義経記』を悲劇として読むとするならば、それは「こんなハチャメチャで破壊的な衝動にいつも突き動かされている義経なのに、兄・頼朝にだけは忠実な思いを寄せていた。しかし、兄からは愛されず、裏切られた」という一点かもしれませんね。
外見はともかく、義経の人物像は、『義経記』の時点ではまだ、後世に比べるとそこまで美化されていない気はします。かなり美化され始めるのは、江戸時代……もっと厳密にいうと明治時代以降の創作物からではないでしょうか。2005年の大河ドラマ『義経』で滝沢秀明さんが人格円満・眉目秀麗の主役・義経を演じ、それを世間が適役だと考えたのも、こうした明治以降の“伝統”が現代に強く影響を与えたからといえるでしょう。
『義経記』にリアルタイムで親しんでいた室町時代の人が、もし『鎌倉殿』を見ることができたとしたら、粗暴な義経の姿には共感しつつも、兄のもとに駆けつけるより、富士の山に鎌倉の海にと興味の赴くまま脱線する天真爛漫ぶりには、大きな疑問を抱くような気がしてなりません。
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