富野由悠季「皆殺しの富野」と恐れられアニメで人間を突き詰め続けた監督の思想をどう展示したのか?
#戦争 #ガンダム #富野由悠季
皆殺しの富野から一転、優しい世界へ
業界のトップクリエイターとして走り続けていた富野はどうしてこんなに追い詰められたのか? それは世界情勢の移り変わりがあったからとされる。
89年に冷戦が終結すると、米ソはあれだけ競い合っていた宇宙開発から後退した。テレビアニメの世界も宇宙を舞台にしたロボットアニメというジャンルが減少していく。外に広がる宇宙を目指すのではなく、内にこもって自分自身と向き合う「セカイ系」がアニメのメインカルチャーにとってかわった。人々は宇宙に夢を見なくなった。富野が憧れ、紡ぎだしてきた宇宙の物語に誰も興味をもたなくなった。富野にとって自分の祖先は善でなかったと知らされたトリトンや、自分が守っていたものは正義ではなかったと知らされる勝平なみの衝撃を受けたのかも。
『Vガンダム』放送終了後、富野はアニメの世界から遠ざかる。このまま希代のアニメ監督の創作力は失われてしまうのか?
98年。『ブレンパワード』で5年ぶりにテレビアニメに復帰した富野は、これまでとは明らかに作風を変えていた。これまでの殺伐とした描写は鳴りを潜め、女性キャラクターが話の中心に置かれ、牧歌的ともいえる物語は「皆殺しの富野」から「綺麗な富野」に生まれ変わったかのようだった。
このころの富野は作風を変えようとしたのか、これまで苦手としていたタイプのクリエイターと仕事をしたり、創刊されたガンダム専門誌『ガンダムエース』で対談企画を連載、アニメやサブカルとは無縁の人物と語り合った(中には富野の憧れである宇宙飛行士、野口聡一もいた)。当時60代になっていた富野は業界の重鎮として過去の栄光に縋って奢ることなく、これまでの自分にはなかった新しい表現を積極的に取り入れようとしていた。
先述のとおり「自分には才能などないとこの20年間ではっきりとわかった」と自ら振り返った富野。20年間とは『Vガンダム』以降の20年間。その20年間に富野は80年代のように作品を発表し続ける。『ブレンパワード』、『∀ガンダム』、『OVERMANキングゲイナー』『ガンダム Gのレコンギスタ』……いずれも「皆殺しの富野」時代にはありえないような優しい物語だ。
自分の原点を作り上げるまでの20年、商業主義と作家性を両立させようとした20年、ガンダムという成功を手にしてからの20年、才能などないと思い始めてからの20年。富野という人物には20年周期でターニングポイントがやってくるようだ。
先日、出身地の小田原市の市民功労賞を授与された富野は小田原の環境保護を訴え「宇宙開発で未来が開けるのは50年前の空想。現在の地球の環境を持続させることを考えないといけない」と、あれほど憧れであった宇宙への進出に否定的なメッセージを送っていた。
次の20年で生み出される「富野由悠季の世界」はなんだろうか。宇宙に行かなくても、彼の世界は広がっていく。
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