カンヌも絶賛、人間の隠された心の闇を旅する西島秀俊主演の話題作『ドライブ・マイ・カー』
#西島秀俊 #カンヌ映画祭
相米慎二監督を思わせる演出スタイル
言語、国籍、年齢、プロとアマ、さまざまな壁を越えて、『ワーニャ伯父さん』上演のためのワークショップが始まる。そこに高槻が入ることで、もうひとつの要素が加わる。高槻は音と不倫していただけでなく、他にも芸能界で派手なスキャンダルを起こしていた。過ちを犯した者、スネに傷を持つ者も、この演劇に参加することになる。まさに多種多様な価値観を持つダイバーシティの象徴として、舞台が作られていくことになる。
原作小説以上に、高槻は重要なキーパーソンとなっている。原作小説では「正直だが奥行きに欠ける」と形容されていた二枚目俳優の高槻は、家福が復讐するために起用されたのか。それとも、妻はこの男のどこに惹かれたのか、家福は知りたいと考えたのだろうか。やがて、高槻の内面にある心の闇、闇に潜む「破壊衝動」に、家福も興味を持つようになる。音は体を重ねることで、高槻の持つ闇と共鳴した。家福は芝居の稽古を通して、高槻の内面を覗くことになる。どちらも闇を抱えた人間のことが気になってしまう。家福と音は、やはり似た者夫婦だった。
原作にはなかった舞台の稽古シーンがじっくりと描かれる。稽古といっても、本読みが延々と続き、立ち稽古はなかなか始まらない。キャストが自分なりの解釈を交えたニュアンスで台詞を読み上げると、演出家である家福はNGを出し、何度も何度もやり直させる。
小手先の演技を家福は認めない。本読みを重ね、何度もNGを出されるうち、キャストは疲れ果て、邪念を捨てた境地に至る。本読みを繰り返すうちに、自然と台詞が口から出てくるようになる。その瞬間、キャストと役は融合し、新しい人格が誕生する。新しい人格を有したキャストが、別のキャストと台詞を交わすことで、化学反応が起き、思ってもみなかった新しい世界が構築されていく。カメラテストを朝から晩まで繰り返した、相米慎二監督の演出に通じるものを感じさせる。
この本読みを徹底的に重ねるという演出スタイルは、濱口監督自身のものでもある。濱口監督の名前を一躍有名にした『ハッピーアワー』(15)も、東出昌大と唐田えりかの共演作『寝ても覚めても』も、同じスタイルで作られている。ちなみに『ハッピーアワー』で行なったワークショップでテキストとして採用したのが、村上春樹の短編小説「ドライブ・マイ・カー」だった。
本読みを重ね、余計なものは省かれていき、キャスト自身も思っていなかったようなむき身の心が舞台上に現れることになる。観客はそんなキャスト同士の心のやりとりに魅了され、舞台から目が離せなくなる。それが演劇の世界だ。そこには善も悪もない。完全なる虚構とも、現実世界とも異なる、不思議な異世界が観客の前に広がる。
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