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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > “わからなさ”の限りなく少ないテレビと星野源

星野源はわからない。けど、面白い。“わからなさ”の限りなく少ないテレビの地平から

星野源の「わからない。けど、面白い」わからなさの限りなく少ないテレビの地平からの画像1
星野源 公式Twitter(@gen_senden)より

 テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(2月20~26日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします

森三中・黒沢「六本木には、外国人おおい~」

 人はわからないものを恐れる。わからないものは、わかるものに塗りかえられる。塗りかえることができないものは、目に見えないところに遠ざけられる。

 テレビで流れるのは、しばしばそんな“塗りかえ”や“遠ざけ”が施されたあとの情報だったりする。そこでは、わかりにくいものはできるわけわかりやすくされ、どうやってもわかりやすくならないものは、そもそもあまり扱われない。

 たとえば、バラエティ番組では出演者の発言のわかりにくいところがテロップで補足されたり、共演者のコメントで補助されたりする。VTRの内容をどのような感情で受け止めればよいのかを、ワイプのなかのタレントの表情がアシストしてくれたりもする。

 テレビは視聴者に見てもらわないことにははじまらないし、むやみにわかりにくいものは見られにくいはずだから、そういったわかりやすさはある意味、当然ではある。わかりやすいことが、イコール悪いことではない。そこには工夫や技術や発明もある。こんなことを言っている私だって、この記事を書きながらわかりにくい言葉をわかりやすいものに置きかえたりしているわけだし。

 他方、テレビを見ていると、わかりにくいものがわかりにくいままこちらに届く瞬間がたまにある。そしてそれが、とても面白かったりもする。

 23日の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)は、ハリセンボンの2人(近藤春菜、箕輪はるか)と、森三中の黒沢かずこがゲストだった。そのなかで、黒沢の一連のふるまいが面白く、圧巻だった。ここでは親戚の通夜での話を取りあげよう。

 仲良くしていたいとこが亡くなったときのこと。黒沢は仕事を終えて通夜に駆けつけた。ただ、自分のことをどこかアーティストだと思いこんでいるという彼女は、棺のなかの故人を見ているうちに、次のように思ったらしい。

「最後のお別れとして、1曲歌いたいなと思ったんです」

 黒沢が歌うことを聞きつけた親戚一同は、8畳ほどの部屋に集まった。しかし、いざ歌おうとすると、黒沢は自分にヒット曲がないことに気づいた。なんとかしぼりだしたのは――

「六本木には、外国人おおい~」

 なぜか口から出てきた六本木の外国人事情。黒沢も「なんで私、六本木には外国人おおいと思ったんだろうって。たぶん、テレ朝から行ったんです、そこに」とふりかえる。歌いながら泣く予定だった彼女は、こんなときに自分の内側からなぜかあふれだしてくるオリジナルソングに、自分で戸惑ってしまうのだった。

 さらに、このまま終わってはいけないと思った黒沢は歌を続けた。故人は唐揚げが好きだと聞き、次のようにバラード調で歌い上げたのだという。

「唐揚げ食べすぎると~、死ぬ~」

 テレビでときどき披露される、黒沢かずこのわけがわからないエピソード。そのなかでも、今回の通夜の話は随一だったように思う。当然、番組側はBGMやテロップでわかりやすく演出するわけだが、そんな演出からもあふれだしてしまうわけのわからなさ。彼女自身もわけがわかっていないのだからしょうがない。

 わかりにくいものをわかりやすく伝えようとするテレビ。わかりやすく説明する人が重宝されるテレビ。そんなテレビのなかで、森三中・黒沢はなによりもわけのわからない自分自身をさらけだしている。

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