モグライダー芝のツッコミは天才的か?バラエティに出始めたこれから真価が問われる
#モグライダー
このコラムを書かせてもらうようになって早1年5カ月。元芸人ということでお笑いに特化したコラムになっている為、コラムを書く以前より圧倒的にバラエティ番組やネタ番組、M-1グランプリなどの賞レースを見るようになった。
そんな僕が最近、気になって仕方がない芸人がいる。それは「モグライダー」だ。
もともと僕が所属していた事務所の芸人ということで昔から名前は知っていたのだが、ちゃんとネタを見たのはM-1グランプリ2021の決勝戦。今回はそんなモグライダーを元芸人として分析し軽掘りしていく。
僕が思うモグライダーの良い点、まずは「外見」だ。
どちらがボケでどちらがツッコミなのか一目瞭然。しかもキャラクターが見た目にマッチしていて、違和感を感じないのも素晴らしい。
一般の方だとあまり気にしたことは無いかもしれないが、自分の見た目がどんなキャラクターなのかを客観的に見るのは、芸人にとって大事なことなのだ。
例えばモグライダーのボケとツッコミが逆だったとする。すごく違和感を感じるのではないだろうか?
さらにボケのともしげさんがシュールで知的なボケをしたら、余計に違和感を感じるはずだ。なぜなら見た目にそぐわないボケは嘘に見えてしまうからだ。かといって見た目に合ったボケがその人の真実かと言われればそうではない。多少なりとも台本があり、練習もしているということはやはり”嘘”なのである。
ただし見た目に合っていればその”嘘”は限りなく”真実”に近づき、嘘が見えづらくなり笑いやすくなるということだ。モグライダーのようにネタのほとんどがアドリブだと言っていても、自分たちの見た目を客観的に認識し、それに合った設定や方向性を作っているのは間違いない。見た目とネタが釣り合うのは芸人としては当たり前のことなのだが、これが出来ていない若手芸人は大勢いる。
そしてモグライダーは「ネタ」自体もかなり良いのだ。
大きなくくりで言うと「ひとつのボケ」を繰り返し、そして少しずつ広げていき最後にオチを付けて終わるというオーソドックスな形。
ただモグライダーの場合、アドリブメインというのも驚きだが、それよりも普通なら振りに使う「ひとつのボケ」が普通ではないのだ。
M-1グランプリ2021決勝戦のネタを例にすると、ひとつのボケというのは「美川憲一さんのさそり座の女の歌いだしの”いいえ”を”そうよ”に変える為に、歌いだし前にさそり座の女以外の可能性をすべて消す」というもの。この着眼点はかなり凄い。
歌いだしの前に質問をした人がいて、それに対して答えた結果、この歌詞になったなんてベタ漫才では絶対にありえない。このボケだけでいうとかなり理不尽でシュールなボケだ。しかしモグライダーはこの「ひとつのボケ」に対して、美川憲一さんのモノマネを入れたり、ともしげさんの一生懸命だけど間違えてしまうというベタな笑わせ方、そして芝さんの丁寧でわかりやすいツッコミを入れることにより、老若男女問わず笑ってしまうベタな漫才に変換しているのだ。
僕としては極力アドリブを減らしたネタを見てみたい。完全に偏見だが、アドリブは考え抜いたボケに勝てない。そして台本がしっかりしているからこそ、間違えたときのアドリブの面白さだと思っている。僕も芸人時代、同じようにアドリブの面白さに憑りつかれた時期があったからこそ言える。さらに上に行く為にも台本を作ってほしいと願う。
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