『ゴヤの名画と優しい泥棒』絵画を人質に取った「ヒーロー」の実話
#実話映画
2月25日より映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』が公開されている。本作の目玉は「事実は小説よりも奇なり」を体現したかのような、信じがたい実話を描いたコメディであることだろう。
監督は『ノッティングヒルの恋人』(99)や『チェンジング・レーン』(02)などを手がけてきたロジャー・ミッシェルで、2021年9月に亡くなったため本作が長編映画における遺作となった。その最後の作品が、人間の複雑な心理や悲喜こもごもを描き、また優しさもいっぱいの優れた内容となったことにも、感慨深さがあった。さらなる魅力を記していこう。
笑えるけど切ない「夫婦あるある」も
本作の題材は、美術館ロンドン・ナショナル・ギャラリーで起こった、1961年の「ウェリントン公爵の肖像画盗難事件」。当時のイギリスのメディアを騒がせたのはもちろん、世界中のアートシーンにも驚きを与え、後に国立美術館の警備体制の見直しにまで繋がったのだそうだ。
その事件の犯人は、60歳のタクシー運転手であるケンプトン・バントン。彼は絵画をなんと「人質」に取り、イギリス政府への交渉を要求した。その目的は、イギリスの公共放送BBCの受信料を無料にさせ、孤独な高齢者の生活を助けることだったのだ。
そんな壮大な計画に対し、劇中の主人公は、妻に毎日のように甲斐性がないといびられている、平凡に見える男性だ。そんな彼が「人類のため」と称して盗みを企むことに滑稽さを感じてしまうのだが、その純然たる正義感も憎めないため、なんとも複雑な気持ちを呼び起こされる。
理想論や叶わない願望ばかり口にする主人公への、妻からのツッコミの数々は真っ当も真っ当なので(極端ではあるが)、「夫婦あるある」として良い意味での苦笑いも浮かべる方も多いのではないか。端的に言って「笑えるけどちょっぴり切ない」というのが本作の根底にある面白さだ。
余談だが、主人公が自身の家のテレビのコイルを改造して、BBCは映らないぞ!と調査員にと主張するくだりにも笑ってしまった。先日、日本のディスカウントストアのドン・キホーテで販売されている動画配信サービスに特化した製品が、NHKの受信料を払わなくていいテレビ(実際にはAndroidOS搭載のモニター)として人気を集め、売り切れが続出し追加生産を決定したというニュースがあったが、半世紀以上も前にDIY精神でそれに近いテレビを独自に作り上げたというのも驚きだ。
それらのユーモア溢れるシーンを気兼ねなく笑えるのは、名優たちの共演のおかげでもある。『ハリー・ポッター』『パディントン』など有名シリーズ映画に出演するジム・ブロードベントはこの上なくチャーミングであるし、『クィーン』(06)などのヘレン・ミレンもスガスガしいまでの毒舌を吐く妻にピッタリ。さらに『ダンケルク』(17)のフィオン・ホワイトヘッドがその息子を演じているので、そのフレッシュな魅力にも注目してほしい。
度を超えた楽観主義者であり活動家
劇中の1960年初頭のイギリス・ニューカッスルでは、第二次世界大戦の爪痕が残っており、工業都市であるニューカッスルと、ロンドンとの間には、社会的にも経済的にも大きな隔たりがあったそうだ。200年近い歴史を誇るロンドン・ナショナル・ギャラリーで絵画が盗まれたのは後にも先にもこの1回限りだったことことに加え、貧困にあえぐ人たちのために起こした事件は、その歴史的背景を鑑みても特異だったと言える。
ミッシェル監督は、本作の主人公であり、実在の人物ケンプトン・バントンについて、こう語っている。「世間から何度となく非難を浴びているにもかかわらず、ケンプトンは永遠の楽観主義者であり、活動家でした。私たちは、すべての文化において常に権威にかみついたり、 納得しろといわれたあらゆることに疑問を投げかける人々を必要としているんです」と。
先ほどは主人公を平凡に見えるとは書いたが、とんでもない泥棒というか人質計画を立てる上に、ミッシェル監督の言うように度を超えた楽観主義者であるので、その本質は全く平凡ではない。ケンプトンはこの計画の前にも、BBCの受信料の支払いを拒否したため2度刑務所に入れられたこともある、客観的には情けない犯罪者だ。だが、その元来のチャーミングな雰囲気はどうしても嫌いになれないし、暗い社会の現実を見据えて行動を起こす活動家としての一面は、悪に立ち向かうヒーローのようにさえ見えてくるのだ。
なお、劇中における法廷でのケンプトンのスピーチのいくつかは、オリジナルの裁判記録からそのまま引用されているそうだ。それらがユーモアに溢れていて、まるで「芸人のオーディション」になっているのもすごい。兎にも角にも、この『ゴヤの名画と優しい泥棒』の主たる面白さは、ケンプトンという楽観主義者であり、貧困から人々を救おうとするヒーローであり、コメディアンに近い笑いのセンスもある、若干クレイジーでさえある主人公の特異性にある。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事