『白い牛のバラッド』イラン本国で上映中止の冤罪サスペンスが生まれた理由
#フランス #イラン #ヒナタカ
シングルマザーの生きづらさ
その死刑制度により夫を失った無念に加えて、劇中ではシングルマザーの生きづらさも丹念に描かれている。生活が困窮を極めているだけでなく、義弟は義父の不満を伝えようとまとわりつき、娘の親権を得ようとさえしてくる。大家の妻からは突然の退去を迫られ、やむなく新居探しを始めるが、子連れの未亡人である主人公に対して世間は冷たく当たる。さらには、聴覚障害のある7歳の娘に父親が亡くなったことを告げられないままであることも、親子関係を悪化させてしまうのだ。
そんな八方塞がりの彼女に救いの手を差し伸べたのは、夫の旧友を称する男だった。彼は自分が所有する古い家の提供を申し出たりと、とても親身に接してくれるのだが、それさえも主人公の苦しみへとつながってしまう。なぜなら、イランで伝統的な価値観を重んじる者にとって「シングルマザーの家庭に親族以外の男性が出入りする」ことは「姦通」を想起させるものだからだ。
なお、共同監督および主演を務めたマリヤム・モガッダムは、幼い頃に実の父親が政治犯として処刑された経験と、母親の姿から本作の着想を得た。もうひとりの共同監督であるベタシュ・サナイハも「これは私たちの周りにいる多くの人々の物語であり、世界中の人々の物語でもあります」とも語っており、そのマリヤムの母親に捧げる映画にもしたという。そのほかにも多くのリサーチを行い、似たような経験をした人々にインタビューもしたそうだ。
女性ひとりで子どもを育てること自体が大変であるのはもちろん、依然として残る女性差別や蔑視の問題は、日本人にとっても他人事ではない。苛烈とも言えるその描写が決して誇張したものではなく、世界中で現存するものだと思えるのは、実際に起こった出来事を参照したことも大きな理由だ。
抑えた演出が活きた映画の醍醐味
前述したように、歪んだ死刑制度とシングルマザーの生きづらさという、イランのみならず世界にはびこる社会問題を痛切に風刺した『白い牛のバラッド』であるが、一定の娯楽性もあるサスペンス映画としても面白く仕上がっている。
その理由の筆頭は「愛する人を冤罪で亡くした未亡人の前に、夫の旧友と名乗る男はなぜ現れたのか?」という疑問が、しっかり興味を引くからだろう。
語り口は淡々としていて音楽もほとんどないが、だからこそ言葉の端々や表情の機微から登場人物の心情を想像する、スクリーンでじっくりと見届ける、抑えた演出が活きた「映画」ならではの醍醐味がある。それでいて、中盤には大胆とも言える「視点の転換」があり、それが驚きだけでなく、人間の複雑な「業」を感じさせてくれる。
また、大人の俳優陣の熱演はもちろん、7歳の娘を演じたアーヴィン・プールラウフィが、両親がろう者で、手話を日常的に使っているコーダ(聴覚障害者を親に持つ聞こえる子ども)であることにも注目してほしい。演技初挑戦とは思えないほどに自然体の子どもに見えるし、彼女が聴覚障害を持つことは「ある事実が聞こえない」作劇上で、重要な要素となっているのだから。
白い牛が意味するものとは
冒頭では「刑務所の中庭にぽつんと立つ白い牛」という、意味深なイメージが挿入される。共同監督および主演を務めたマリヤム・モガッダムによると、劇中の白い牛は「死を宣告された無実の人間のメタファー」なのだそうだ。また、イランの宗教的な儀式における牛は、通常は「生け贄」とされているそう。さらに、コーランの一章である「雌牛」は「目には目を」という格言通りの、同害報復刑を意味する用語にも関連しているという。
もうひとりの共同監督であるベタシュ・サナイハも、白い牛のメタファーについて、主人公が見る牛の夢や、ラストシーンに用いられる牛乳など、脚本の中で繰り返し出てくるテーマであり、いくつかの意味が込められていると語っている。
そして、本作の衝撃的な結末は、観る人によって解釈が分かれるものになっている。それまでの描写を思い返しつつ、その牛乳も登場するラストシーンを鑑みれば「答え」が用意されているようでいて、断定することもできない、絶妙な塩梅になっているのも見事。一緒に見た人と(これから観る人に聞こえないところで)結末について、「白い牛」の解釈も含めて議論してみるのも良いだろう。
『白い牛のバラッド』
2月18日(金) TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
監督:ベタシュ・サナイハ、マリヤム・モガッダム
出演:マリヤム・モガッダム、アリレザ・サニファル、プーリア・ラヒミサム
2020年/イラン・フランス/ペルシア語/105分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch/英題:Ballad of a White Cow/日本語字幕:齋藤敦子
配給:ロングライド
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