『白い牛のバラッド』イラン本国で上映中止の冤罪サスペンスが生まれた理由
#フランス #イラン #ヒナタカ
2月18日よりイラン・フランス合作の映画『白い牛のバラッド』が公開されている。本作はイラン本国で上映中止の憂き目にあったサスペンス映画だ。
実際の本編を観れば、第71回ベルリン国際映画祭金熊賞&観客賞にノミネートされるほどの絶賛ぶり、そして上映中止の理由がわかると共に、イランに限らない社会問題への憤りを覚える内容でもあった。さらなる特徴を記していこう。
イランの死刑制度への批判
あらすじはこうだ。テヘランの牛乳工場で働くミナは、1年前に夫が殺人罪で死刑に処せられたため、耳の聞こえない幼い娘ビタをひとりで育てていた。ある日、ミナは裁判所から夫が告訴された殺人事件を再精査した結果、それが冤罪であった事実を知らされる。賠償金が支払われると聞いても納得できないミナの元に、夫の旧友と称する中年男性レザが現れるのだが……。
重要なのは、イランの死刑制度への批判が込められていることだろう。何しろ、イランは中国に次いで死刑執行件数が世界2位。拷問による自白の強要や、結論ありきの公判のために死刑執行に至るケースも多いと言われており、国際人権団体からの強い批判の対象となっているという。
イランでの映画制作には検閲というやっかいな問題がつきまとうのにも関わらず、死刑制度を扱った映画が相次いで作られており、おどろおどろしい絞首刑シーンを映像化した『ジャスト6.5 闘いの証』(19)や、死刑制度にまつわる4つのエピソードで構成された『悪は存在せず』(20)も大きな反響を呼んでいたそうだ。
この『白い牛のバラッド』も賞賛の声が相次いだのだが、自国では正式な上映許可が下りず、3回しか上映されなかった。言うまでもなく、冤罪であることが証明されてたとしても、死んだ夫は帰ってこない。検閲の対象となったのは、劇中でその主人公の無念が痛切に伝わるからこそ、歪んだ死刑制度への憤りを覚える、社会問題を訴える映画としてストレートかつ正しいアプローチがされているからだろう。
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