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「コサキン」2022年に露出増加? 関根勤と小堺一機の”下積み”と起死回生

「コサキン」2022年に復活か? 関根勤と小堺一機の下積みと起死回生の画像1
『徹子の部屋』(テレビ朝日系)公式サイトより

 2月3日放送『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に関根勤と小堺一機、通称「コサキン」がゲスト出演した。

 2人のホームであったTBSラジオのレギュラー放送は09年3月に終了。しかしここに来て、コサキンとしての露出が増えてきた感がある。きっかけは、昨年11月24日放送『あちこちオードリー』(テレビ東京系)への登場。さらに、1月3日放送の特番『お正月特番 令和に復活!コサキンDEワァオ!です、ワァオ!』(TBSラジオ)にて、2人は「今年はコサキンでの活動をやりたい」「コロナが落ち着いたらライブをやりたい」と発言した。『徹子の部屋』出演は、その皮切りだろうか?

2人の出会いで交わされた会話「下積みがないとツラいよ?」

 番組でも明かされたが、関根は『徹子の部屋』の初期レギュラーだった。当時、まだ大学在学中だったラビット関根が大抜擢されたのだ。76年2月2日に始まった同番組だが、彼がレギュラーを務めたのは最初の1年間のみ。当初は視聴者参加型「フラッシュクイズ」という別コーナーがあり、関根はその進行役だった。この辺りについては、コサキンと同じく浅井企画に所属する山中伊知郎の著書『関根勤は天才なのだ。』(風塵社)に詳しい。

「要するに、トーク部分だけでは番組がもたない可能性があるので、その保険といったところだろうか。(中略)おそらく、トークだけでも大丈夫、とわかった時点であっさり切られたのだろう」
「浅井企画は全社あげて、関根を『ヤングアイドル・コメディアン』として売り出すべく、フル回転で動き出した」
「特別、たいした芸も持ち合わせていないシロート同然の若者が、つい時の勢いで有名人になってしまった。だが、本人にすれば、ただそら恐ろしいばかりで、いったいいつ揺り戻しがくるのか、そればかり考えて常に怯えている」

『ぎんざNOW!』(TBS系)の「シロウトコメディアン道場」初代チャンピオンとして華々しく芸能界入りを果たした関根だったが、世に認められるまでには長い月日を要した。いや、世間からだけではない。

徹子 「萩本欽一さんから、最初は『会いたくない』って言われたんですって?」
関根 「そうです。僕らは『ぎんざNOW!』で素人がちょっと芸をやってそのままレギュラーになって、萩本さんは基礎を学んだ方でしたから、『そんな素人みたいな奴なんか俺は会いたくない』って。会うのに7年くらいかかったよね?」
小堺 「でもまあ、会えなくて当たり前だと思ってましたから、僕らは。もう、すごい方ですから」

 当時のことについては、萩本本人も『関根勤は天才なのだ。』のインタビューで語っている。

「シロートから出てきて、カマキリとかやってるヤツだって聞いてたんで、『そんなのとは会いたくない』って、ずっと会わなかった。(中略)『5年たっても、まだウチにいるようなら会ってみよう』、そんな気持ちだったね」(萩本)

『徹子の部屋』レギュラーを1年で降りた関根。ポッと出の新星は、下積みの必要性を痛感していた。77年、『きんざNOW!』の一曜日の司会者だった関根は、「シロウトコメディアン道場」17代チャンピオンになった大学3年時の小堺と初対面する。そのときの会話はコサキンファンの間で語り草だ。『関根勤は天才なのだ。』でのインタビューで小堺が語った。

「すぐ自己紹介しました。『小堺です。プロでやりたいです』。普通の人なら『がんばれ』とか当たり障りないこというじゃないですか。ところが、関根さんは違ってた。『この世界は、下積みがないとツラいよ』。よっぽど下積みなくテレビに出てツラい思いをしてたんでしょうね。ま、実際、その後に二人揃って下積みするわけだけど」(小堺)

 一方、関根の小堺に対する初印象はどうだった? 書籍『コサキンの一機と勤』(シンコーミュージック)で明かされている。

「小堺くんがテレビで勝ち抜いてるとこ見たんですけど、ハンダースとか他の人達っていうのは勢いとか顔が面白いとかでね、ちょっと荒れてたんですけど、小堺くんのは、何て言うんですか、ソフィスケイテッド? ネタが次へトロッ、トロッとね。しゃべりがうまくてマイルドなんですよ。で、21でしょう。大学3年生で。だから、あー彼も21で出て来て俺に似てるなーって、面白いなーってね」(関根)

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