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「平家とか源氏とかどうでもいい」北条宗時の真意 ドライでシビアな当時の武士たち

「昔は昔、今は今、恩こそ主よ」の精神

「平家とか源氏とかどうでもいい」北条宗時の真意 ドライでシビアな当時の武士たちの画像2
「言葉戦い」での大庭景親(國村隼)|ドラマ公式サイトより

 頼朝たちが身を隠していた“とある洞窟”は、『源平盛衰記』によると「ししどの岩屋の臥木の洞窟」とだけ書かれており、詳細は不明です。現在では神奈川県・湯河原と真鶴の2箇所に、伝承の残る洞窟が現存しているようですね。なお、「ししど」とはホオジロなどの鳥の古名で、洞窟から鳥が飛び出してきたことに由来しています。

 そんな詳細不明の洞窟についてわざわざ語るのは、この後、頼朝がここで運命の出会いをするからでした。その出会いの相手とは、第5回で本格的な登場となった梶原景時(中村獅童さん)です。

 ドラマでは、ドライでシビア、陰のあるキャラクターに描かれていたようですが、史実の梶原景時は、他の坂東武者とは一線を画し、文化の香りがする知的な男でした。彼だけでなく、梶原家全体が京都の文化によく馴染んだ家系であったようです。それもそのはず、平安時代中期に京都から関東(坂東)に下向し、武士に“転職”した元・皇族を祖先とする「坂東八平氏」のひとつが梶原家なのです。

 『愚管抄』によると、「石橋山の戦い」の以前から、梶原景時は大庭景親(國村隼さん)に仕えるそぶりを見せていながら、実は頼朝と通じていたという噂があったようです。関東に在住していても、宗時の言う「(文化圏としての)西の人間」というアイデンティティがある点で、頼朝と梶原の価値観は似ていたと思われます。

 ほかの逸話では、大庭景親が仕向けた頼朝追討軍に加わっていた梶原景時が、洞窟の中で頼朝を発見したものの、仲間には「コウモリしかいなかった」と嘘をついて見逃してくれた(=梶原が頼朝に恩を売った)ということになっていますね。

 ドラマ第5回の終盤、時政が「あいつ(頼朝)は大将の器じゃない」などと言って、頼朝の首を取って大庭軍に降伏しようかと義時に漏らすシーンがありましたが、景時は逆に、敗走して弱りきった状態の頼朝に何か将来性を感じたのかもしれません。

 このあたりのやりとりに、義時が聞いた最後の宗時の言葉になった「実は平家とか源氏とか、そんなことどうでもいいんだ」という一節を思い出してしまう筆者でした。前回のドラマで最大の見どころのひとつだった、「石橋山の戦い」開戦直前、北条時政と大庭景親の間で交わされた「言葉戦い」も、当時の武士たちが「平家に付くか源氏に付くか」という問題についていかにドライに考えていたかがうかがえるシーンでした。

 時政から、「この裏切り者めが!」「そなたは佐殿の御父君、源義朝さまに仕えたではないか。なにゆえ平家にこびへつらう」などと変わり身について揶揄された大庭は、「先の戦で源氏が朝敵に成り下がった時に我が命を救ってくれたのは平家である。その恩は海よりも深く山よりも高い!」と言い返していました。

 『源平盛衰記』などに出てくる大庭と時政の台詞を翻案したこの場面は、舞台でも活躍する國村隼さんと、歌舞伎役者である坂東彌十郎さんの台詞まわしの妙を堪能できるシーンでもありました。國村さんは2012年の大河ドラマ『平清盛』で、摂関家の長・藤原忠実という高貴で老獪な人物を巧みに演じておられた記憶があります。大庭景親は忠実よりもさらに詳しいことがわからない人物ですが、平家からの信頼厚い大豪族ということで、大庭役の國村さんは他の坂東武者とは一線を画する、格式ある演技をなさっていました。普段から小さめの声でもハッキリ通る台詞回しが印象的でしたが、「言葉戦い」での“罵り合い”はかなりの声量でありながらも声が割れていないのが凄いな、と感じ入ったものです。一方、坂東彌十郎さんの演技は、これが歌舞伎の舞台であれば、もっと朗々と台詞を響かせていたんだろうな、などと思いながら拝見しました。

 『源平盛衰記』では、大庭は「昔は昔、今は今、恩こそ主よ」、つまり「仕える相手は、自分がトクする方に変えていくものに決まっているだろう」などと答えたとされています。この発言からもわかるように、鎌倉時代の武士たちの主従の絆は、江戸時代に理想化された武士の美学とはまったくの別物でした。当時の主従関係は、かなり利得重視のドライでシビアなものに他ならなかったのです。「昔は昔、今は今、恩こそ主よ」の精神は、宗時が義時に語った台詞「実は平家とか源氏とか、そんなことどうでもいいんだ。俺はこの坂東を俺たちだけのものにしたいんだ」とも響き合っているように思われます(余談ですが、藤原紀香さんいわく、愛之助さんは『鬼滅の刃』の煉獄(杏寿郎)さんをイメージして宗時を演じていたそうです)。

 源頼朝と北条家の関係も、結局はお互いを利用していただけ。「西から来たやつらの顔色をうかがって暮らすのはもうまっぴらだ。坂東武者の世をつくる。そしてそのてっぺんに北条が立つ。(略)だからそれまでは辛抱しようぜ」という宗時の台詞は、どの史書にも書かれてはいないけれど、書物の行間に込められた北条家の本音であったのだろう、と筆者には思われてなりません。

 これは今後、頼朝の死後に暗躍するようになる北条家の姿を暗示する台詞でもあると思われます。以前、『鎌倉殿の13人』は、京の都の高貴なセレブたちの地位を、セレブのワナビーである関東(坂東)の人間が脅かす物語になるのでは……とお話ししましたが、本当にそこがドラマの中核になっていきそうですね。

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堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 16:51
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