東野幸治=原口あきまさ、松本人志=JP “その人らしさ”と代役ラッシュの効能
#テレビ日記
錦鯉・渡辺「それもあったから、M-1も決勝行けたのかな」
新たな関係性や場のなかでの“その人らしさ”といえば、2日の『お笑い実力刃』(テレビ朝日系)で錦鯉のツッコミ役、渡辺隆がこんな話をしていた。
渡辺が吉本興業の芸人養成所、NSCの東京校に入学したのは1999年。渡辺が21歳のときだったという。同期にはピースや平成ノブシコブシなどがいた。渡辺は2001年に「ガスマスク」というコンビでデビュー。2004年には事務所をソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)に移し、コンビ「桜前線」を結成した。が、そんな桜前線も2008年には解散。渡辺はピン芸人に転身した。
その間、同期のピースや平成ノブシコブシは『ピカルの定理』(フジテレビ系)に抜擢されるなど活躍を見せていた。同期の活躍を横目に、渡辺は何を感じていたのか。
「(芸人を)はじめて2年目3年目とかはやっぱ、ピースとかがテレビ出てるのとか見て、うーわ、くやしいっていう思いがめちゃくちゃあったんですけど、でも、どうすることもできないんですよね、それってもう」
最初は、「くやしい」と思っていたらしい渡辺。しかし、徐々にそんな境遇にも「なれて」きたという。
「力がどんどん抜けてっちゃうというか。どんどん(後輩に)抜かれていくのにもなれていく感じで。なんにも感じなくなっていく。芸人続けられてるのが幸せだなぁ、みたいな。肩書きがついてるのが幸せだな、みたいになってきちゃう」
心理学とかでよく引き合いに出される、イソップ童話のひとつ「すっぱいブドウ」を思い起こさせるエピソードだ。お腹をすかせたキツネがおいしそうなブドウを見つけたが、そのブドウにはどう飛びあがっても届かない。悔しいキツネは「このブドウはどうせすっぱい」と捨て台詞を残して去ってしまう。自分の手の届かない理想を前に、手を伸ばさない理由を見つけて自分で納得する。そうやって心の安定をはかる。そんな人間の心理的な機構。身につまされるやつだ。
では、そんな彼がM-1チャンピオンになるまでのあいだに何があったのか。2012年に長谷川雅紀と錦鯉をくんだ渡辺。このとき、渡辺は33歳、長谷川は40歳だった。年齢的には若手とは言いにくくなってきたそんな状況で、2人は若手中心のライブに頻繁に出演するようになる。そこで、心理的な変化があったと渡辺は振り返る。
「やっぱ順位がついたりするじゃないですか。モグライダーに負けたりしたら、やっぱくやしいなって思う気持ちがまためばえてきまして。年下ですけどおんなじ土俵で戦わせていただいて、切磋琢磨してるときは、負けたときはやっぱくやしいなって思いも、また帰ってきた感じがしましたね。それもあったからやっぱM-1も決勝行けたのかなって思いはあります」
場ちがいにも思えるような若手中心のライブシーンに、すでに中年に差しかかった2人が出演する。若手にまざって切磋琢磨する。そんな姿は、若手中心の賞レースであるM-1を“ホーム”のように沸かせ、優勝する未来を、先取りしていたように見える。
新たな関係性や場の設定のなかで、その人たちの魅力が浮き彫りとなる。錦鯉もまた、そんなケースだったのかもしれない。
ところで、話はかわるが最近の『笑点』(日本テレビ系)である。昨年末で大喜利メンバーから林家三平が退き、新たに桂宮治が加入。30年ぶりの本格的な席替えが実施されるなど、“大手術”が行われている。まさに、出演者たちの関係性が新たなかたちに組み替えられているところと言えるかもしれない。
そんななか、おなじみのピンクの着物、三遊亭好楽がこれまで以上に“つまらない”キャラを一手に引き受けている気がする。好楽は笑点メンバーのなかで長いこと“つまらない”キャラだったが、ここにきてそんなキャラでの立ち回りが加速しているというか。
なんだか、新メンバーとして加入した当初から三平が“つまらない”と視聴者から酷評されつづけてきたことへの番組側の“対策”が入ったという印象を受ける。エンタメになる“つまらない”が用意された、言い方をかえれば、視聴者のおもちゃになる“つまらない”役回りが番組によって用意されたというか。――と、私がそんなうがった見方をしてしまうのもまた、そういう見方を面白がる関係性のなかにいるからだろう。
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