渡辺志保×つやちゃん「私の中ではAwich以降」日本語ラップが迎えた新時代と裏面史
#ヒップホップ #日本語ラップ
フィメールラップをテーマにした理由
渡辺 僭越ながら帯の文章を書かせていただいた、つやちゃんさん初の著書『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』ですが、スタートはKAI-YOUに寄稿されていたフィメールラップ記事がきっかけだったんですよね?
つやちゃん そうですね。今回の書籍ではインタビューも収録していて、そこでvalkneeさんが「ストリーミングのヒップホップ系プレイリストを見ていても、98%が男性のラッパーですし、ちょっともう現状では難しいのではと思ってしまうんですよね。それに頼らずともやっていけばいいんでしょうけど……」と話されているんですが、日本のヒップホップにおけるフィメールラッパーの作品はその歴史の積み重ねなのではないか、忘れ去られた作品がたくさんあるんじゃないか、という気持ちが(連載を進めるにつれて)強くなっていったんです。実際に(男性の作品の)横に並べて聴いてみると、まったく劣っている気がしない。これは書籍としてまとめる意義があるんじゃないか、そろそろ誰かがこういうことをやらないといけないんじゃないか、と思いました。
渡辺 valkneeさんのお名前があがりましたが、他にもCOMA-CHIのインタビュー、本編ではAwichやNENE(ゆるふわギャング)、RUMIなどを引き合いに出した批評、そして巻末には膨大な数のレビューが掲載されていますが、その人選というのは?
つやちゃん 影響力、ですかね。時代を作り上げた、時代感を反映したラッパーの方々を選ばせてもらいました。本編の原稿は2021年という時代から過去を振り返っているので、現代寄りにはなっているのですが、そこで言及できなかったアーティストや作品はレビューで紹介しました。
渡辺 またそのレビューが200作品以上を取り上げていて、すごい数。国内のラップ作品をヒップホップの正史的な観点から振り返るのかな? と考えると、EAST END×YURIやHACあたりからレビューが始まるのかと思いきや、まさかのキャンディーズ「微笑がえし」(78年)。また、レビューの内容もつやちゃんさん独自の視点で批評されていて、かつ作品のチョイスも非常にユニークですよね。
つやちゃん 正史と呼ばれる本流の中では、どうしても男性中心で歴史が描かれていますよね。女性を中心にすることで“裏面史”があぶり出せるんじゃないか、という気持ちがありました。もちろん、そういう作業をすることで表の歴史を書き変えていくんだという狙いもあります。私は男性ラッパーの作品も大好きなものがたくさんあるので、別に表の歴史を否定はしない。でも、それがすべてではないんじゃないかと。
渡辺 確かに、発売された当時では見えなかったものが、時代を経て裏面史として浮かび上がる、というのはありますからね。ちなみに、私の感覚では「野村沙知代もレビューに入ってくるのか」という気持ちがある一方で、安達祐実の「どーした!安達」(94年)が紹介されているのを見て、僭越ながら月刊サイゾーでスタートした私のポッドキャスト(「渡辺志保のヒップホップ茶話会」)で「初めて購入したCD」として紹介した作品でもあったので、すごくうれしくもあり。
つやちゃん 志保さんのポッドキャストを聴いて、「どーした!安達」にはそんな隠れたエピソードがあったんだ……! と、楽しく聴かせていただきました(笑)。安達祐実さんの作品はどちらかというとコマーシャルなラップ作品ですが、同時に女性がそういった形で“ラップ”を通して活躍してきた側面があるのも事実なんですよね。それこそ当時は(クオリティに対して)好意的な評価は得られなかったかもしれませんが、今の時代だからこそ、先入観や偏見に縛られず新鮮に聴くことができるんじゃないかと思っています。
安達祐実「どーした!安達」
渡辺 つやちゃんさんは“ヒップホップ”だけに縛られず、いろいろなジャンルの音楽を聴き、楽しまれてきたんだなあ、と感じます。
つやちゃん 私の中心はヒップホップというか、広い意味での“ラップ”だからだと思います。特に2010年代以降のラップミュージックは、ヒップホップとポップミュージックの双方に軸足を置きながら、ひとつのアートフォームとして目覚ましく進歩していきましたよね。私はジャンルに縛られるというよりは、「音に言葉を乗せる技術が長けているか。気持ちがいいか」くらいのスタンスで聴いています。なので、志保さんのようにヒップホップを突き詰めて聴かれている方と比べたら自分は邪道だな、って思いますね。
渡辺 なるほど。とても腑に落ちました。ラップを庭にされていて、そこに入ってくる音楽を分け隔てなく聴かれてる、ってことですよね。私は逆にやや偏狭気味で、「これはラップだけどヒップホップではない」と感じてしまう作品があり、ゆえに「ヒップホップではないラップミュージックをどう受け入れ、楽しみ、評価すべきか悩む」という壁にぶち当たることがあるんですが、そこで「器の小さな人間だな」と感じることもある。どうしても、正当的な、もしかしたら古臭いとされるヒップホップのかっこよさを求めてしまうんです。でも、近年はヒップホップのスタイルもドラスティックに変わりましたよね。そこで私の頭の中にあったモヤモヤが、つやちゃんさんの著書本編やレビューの功によって浄化されたといいますか、聴く上での大きなヒントになったと感じています。
つやちゃん いろんなコミュニティが好きなんですよね。ヒップホップも当然好きだけど、ほかにもコミットしたい大好きなコミュニティがいっぱいあるからかもしれないです(笑)。あとは、私は執筆歴も浅いですし、どこかの編集部に所属したことも書き手が集う場にいたこともなく、ただひとりで書き始めたからというのもあると思います。志保さんのようにキャリアを築き、そのような歴史の中にいる方だったら、私以上に葛藤されて当然ですし。
渡辺 でも、むしろ書き手としてはそれが正解なのかもしれない。アーティストのインタビューをし、クラブで会うことで個人的なつながりができる――こうした関係性が生まれると、健全に音楽を評価することができないバイアスがかかってしまうことがあるんですよね。私が気に留める言葉でなかったとしても、相手側の心を痛める内容に聞こえてしまったら申し訳ないとか。そんな感覚に何度も出くわすんですが……つやちゃんさんの著書を読んでスカッとしたのは、忖度なしで書かれたからなんでしょうね。
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