渡辺志保×つやちゃん「私の中ではAwich以降」日本語ラップが迎えた新時代と裏面史
#ヒップホップ #日本語ラップ
引く手あまたの文筆家・つやちゃんによる新連載「クリティカル・クリティーク」がスタートするにあたり、初めての著書となる『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)を軸とした特別対談を実施。お相手を務めるのは、同書の帯文を提供した音楽ライター・渡辺志保さん。“フィメールラップ”というキーワードから、作品やムーブメントを多角的に検証しつつ、ミステリアスなイメージがあるつやちゃんご自身も、徹底的に解体しました。
渡辺志保(以下、渡辺) 著書、興味深く拝読いたしました。つやちゃんさんの原稿を読みながら常々感じ、著書を読了して改めて感じたことでもあるんですが、どのような環境でヒップホップを聴かれてきたのかが、とても気になりまして。
つやちゃん もともとロックが好きで、10代の頃はUS/UK、邦楽のロックをディグりながら、その中でも一番好きで聴いていたのがメタルやハードコアといったヘヴィミュージックと呼ばれるジャンルだったんですね。
渡辺 え、驚き!
つやちゃん そこにどっぷり浸かり、ニューウェイヴやプログレと過去をさかのぼっていったという、もともとはいわゆる“ロック耳”なんです。そこからロック好きが聴くダンスミュージックやエレクトロニカに傾倒し、同時にヒップホップも聴くようになりました。その中でも一番の大きな転換点が、00年代中盤にサウスにハマったことでした。
渡辺 なぜサウスだったんですか?
つやちゃん 当時のサウスのヒップホップは、リル・ジョンのクランクはじめ、ヘヴィーな低音がブイブイ鳴り始めた時期ですよね。いわゆるマイアミベースといった範囲にとどまらない新たな“ベースミュージック”という概念が出てきて、808のベースドラムがいろいろなジャンルを越境して使われ、それがヒットチャートにも影響を与えるようになってきた。その時に自分の中で“ヘヴィさ”の概念が刷新されたんです。それまでのロックを中心としたヘヴィさとは異なる次元の音が生まれ始めているぞと。そのサウンドにすごく惹かれて、私の中のヘヴィミュージックの定義にもだいぶ大きな変化が生まれたのがきっかけだったと思います。
Lil Jon & The East Side Boyz 「Get Low feat. Ying Yang Twins」
渡辺 そこから一気にヒップホップにのめり込んだんですか?
つやちゃん そうですね。サウスのヒップホップを中心に、UKのダブステップやグライムなども同列に聴いていたと思います。それこそ、ヘヴィなベースミュージックとして一括りで。同時に、音楽だけでなくヒップホップのカルチャーそのものにも惹かれていきましたね。
渡辺 つやちゃんさんの原稿やレビューなどを読んでいると「00年代のヒップホップをリアルタイムに聴かれてきたんだろうな」という時代感がすごく見えるんですが、やはりそういった背景があったからなんですね。当時は私もサウスミュージックが大好きだったので、もしかしたらクラブのバーカンなどでテキーラの1杯くらいは乾杯していたのかも。
つやちゃん 志保さんはその頃すでに東京だと思いますが、私は当時関西の大学に通っていたこともあって、その頃はミナミのクラブなんかに遊びに行っていました(笑)。
Awich「WHORU? feat. ANARCHY」
渡辺 そうしたクラブでの経験などにも影響されて、自然と日本語ラップにも興味を抱かれた形ですか?
つやちゃん 私は文芸としての側面という意味でも日本語ラップはずっと関心があって聴いてはいたんですけど、本格的にのめりこむようになったのは2015年以降ですね。どんどんUSとの距離感がなくなっていって、同時に日本語ラップならではのオリジナリティも明確になってきた。決定的だったのはAwichの『8』(17年)でした。トラップをベースとしながら、さまざまな音楽要素を吸収し、ジャンルレスな作品に昇華する、そんな作品が日本から出てきたことに驚いて。KOHHとはまた違うアプローチでのトラップの完成型を打ち立てたんだと思います。そして、それを作り上げたのが女性のラッパーだった――ということもあり、日本語ラップが新しい時代に突入したなと感じたんです。なので、私の中では“Awich以降”という境界がひとつあるんですよね。
渡辺 執筆活動を始められたのはいつからですか?
つやちゃん 2年前くらいです。
渡辺 それまでは別名で執筆されていたとか?
つやちゃん いえ。……なぜですか?(笑)
渡辺 2年とは思えない筆致と申しますか……観察眼や分析力の優れ具合がハンパない感じを受けておりまして。
つやちゃん 書くのはまったくの初めてです。でも、いわゆる批評と呼ばれるものはずっと好きで読んでいました。大学でロラン・バルトを研究していたんです。バルトってなんでも論じるんですよね。音楽から写真、ファッションなど、いろんなジャンルを横断して、何か気になって仕方がないものを独自の視点で切り取っていった。私はその時代ならではの引っかかりを反映した、軽いもの・流れていってしまうものが好きなんです。ラップとかまさにそうじゃないですか。そういうふわふわしたものに形を与えて残していきたい。……という気持ちでいつも書いています。
渡辺 「TOKION」や「KAI-YOU」「RealSound」など、さまざまなメディアに寄稿されてきて、同業者としてお聞きしたいんですが、どうやって書く場所を見つけられたんですか?
つやちゃん これといって特に何もしていないです。ありがたいことにお声をかけていただいて。
渡辺 それほど各メディアが“つやちゃん視点”を求めていた証拠でもあるんでしょうね。TOKIONの連載第11回「旅から旅へ――ANARCHY & BADSAIKUSHのMVと重ね合わせ読み解く『ルイ・ヴィトン』の本質」を読んで感じたことですが、ざっくりとした絵の中にストリートとラグジュアリーの関係性を用いて、かつ具体的でロジカルに掘り下げていく分析は、本当にこれまでにない視点だなと、私自身、感嘆の声をあげながら拝読しまして。お名前同様、文章そのものに“艶(つや)”を感じさせられました。
つやちゃん ありがとうございます。実は「文章に“艶”を“ちゃん”と入れる」で、〈つやちゃん〉というペンネームにしているんです(笑)。
渡辺 え、すごい(笑)。
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