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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 映画『浅草キッド』芸人の在り方

映画『浅草キッド』たけしが魂を込め劇団ひとりがリスペクトを注いだ芸人の在り方

劇団ひとりを直接知る元芸人が感じる“らしい”演出たち

 番組の共演者が集まって雑談をしていたとき、劇団さんがふとこう話していた。

「まわりまわってやっぱりベタが一番だな」と。

 この映画はまさにベタだ。

希望溢れる青年が師匠に弟子入りする
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お笑いという芸を磨き、努力が実り師匠に認められる
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時代はコントから漫才の時代に移り変わっていく
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コント一筋の師匠は漫才を認めない→次第に劇場の客が減っていく
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青年は漫才をする為に師匠のもとを離れる
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どさ回りをして漫才を続けるがうまくいかない
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師匠は弟子が帰ってくるまで劇場を守ろうとする
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青年は海外のコメディアンをモチーフに漫才を変え始める
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師匠の奥さんが借金をしたり働いたりし何とか劇場を存続させていく
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青年は漫才改革に成功し、すこしずつ笑いを取り始める
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師匠は奥さんが倒れたのをきっかけに劇場を閉め、工場で働く
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ひょんなことからテレビ出演を果たし人気が出る
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一躍人気者になった青年は師匠のもとを訪れ、何年か越しの恩返しを果たす
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その日師匠は事故により亡くなる

というベタなストーリーだ。

 芸人でも脚本家でもベタなストーリーを敬遠する人がいる。その理由は展開を先読みされてしまうからだ。先読みされると笑いが減ったり、感動が薄まったりすると思っている人が多いが、少し思い返してみてほしい。昔の芸人さんは同じネタを何度もやる。お客さんはそれを見たくて足を運ぶ。つまり想像したとおりの展開でも笑えるものは笑えるし、感動するものは感動するし、わかっていても涙が出るということだ。

 最後の最後で師匠とタケシさんがタップで向かい合うなど、ベタ中のベタだが鳥肌が立つ。「まわりまわってベタが一番」と言っていた劇団さんらしく、この映画はベタだからこそ活きるストーリーなのだ。

 そしてもうひとつ劇団さんがらしさが出ていたのは、彼のお笑いに対する思いだ。

 これは憶測でしかないが、劇団さんはお笑いに対して「かっこいい」と思っているはず。そんなシーンがあちらこちらに散りばめられていた。

 ひとつめは予告編でも使われており、かなりインパクトがあるこのセリフ。

「芸人だよ、バカヤロー」

 これはコントのツッコミではなく客に対していうセリフである。

 新潟のキャバレーで漫才をするツービート。客は誰も漫才を聞いていない。それでもネタをやっているがあまりにも聞かない客に対し

タケシ「聞けよこのやろー」
キヨシ「ん?」
タケシ「こっちは漫才やってんだよぉ!」
客「……」
タケシ「黙って聞いてろバカヤロー」
キヨシ「ちょっと何言ってんだよ。いや、すいませんね、冗談ですよ、冗談。」
客「……」
キヨシ「いや~しかしね、え~あの長嶋茂雄さんの引退。感動しましよねぇ、あの名言」
タケシ「犬の金玉みてえな顔しやがってコノヤロー」
キヨシ「いや、あのそんな名言では……」
タケシ「おらぁ、そこのお前らだよー!さっきからくちゃくちゃ喋りやがってコノヤロー」
客「なんだと?」
タケシ「そんなに面白い話だったらなぁ、ここに上がってきて喋ってみろよ」
キヨシ「ここで私がですね、マジックをひとつ……」
客「おらっ!いい加減にしろよおい!」
キヨシ「これをこうやってかぶせまして……」
客「なんなんだよお前!」
キヨシ「ふっと息をかけますと」
タケシ「……芸人だよ、バカヤロー」

 凄みを利かせて小声で言うタケシ青年。

 どうしても喧嘩の延長上のセリフに聞こえてしまうが、実はこれ、数年前に師匠の深見が客に言っていたセリフなのである。それはこんなシーンだ。

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