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あのアーティストの知られざる魅力を探る TOMCの<ALT View>#5

Mr.Childrenが『Atomic Heart』で見せた“オルタナティヴ”への助走

Mr.Childrenが『Atomic Heart』で見せた“オルタナティヴ”への助走の画像1
桜井和寿(写真/Getty Imagesより)

 2022年にメジャーデビュー30周年を迎えるMr.Children。四半世紀以上に渡り国内ポップ・ミュージックシーンのトップランナーであり続ける彼らについて、この連載ではこれから数回にわたって、1994~2000年頃の作品を中心に、サウンドやアレンジ面、制作プロセス等に焦点を当てて語っていきたい。

『深海』~『Q』 “オルタナティヴ”の果ての自由と“蘇生”

 サウンドの観点では、“ミスチル現象”とも称されたブレイクのさなかに音楽性を大きく変化させていった『深海』(‘96)~『Q』(‘00)の時期の作品にはやはり目覚ましいものがある。

 『Atomic Heart』(‘94)は、録音・ミキシングを手がけた​​平沼浩司やプログラミングの角谷仁宣をはじめ、プロデューサーの小林武史が同時期に深く関与していたサザンオールスターズ周辺の面々が多数参画している。生楽器とプログラミング/シンセサイザーの境界が違和感なく融和したような本作のサウンドデザインは、それゆえ当時のサザンの最新作『世に万葉の花が咲くなり』(‘92)との連続性を感じさせる。Mr.Childrenは、サザンと小林が確立した“J-POPにおけるロックサウンド”をインディ・バンド然とした佇まいで継承・アップデートし、多くのフォロワー(いわゆる“ポスト・ミスチル”)を生み出したのだ。しかし、この鉄壁のフォーマットでシングルヒットを連発するさなかに、彼らはそのサウンドを大胆にも捨て去っていく。

 ヴィンテージ機材にこだわって録音された『深海』(‘96)は、ひとつひとつの楽器そのものが持つ音色やダイナミズムが引き出されており、その音と桜井和寿の当時の苦悩・葛藤がダイレクトに反映された詞曲を組み合わせた、何もかもが“むき出し”の――90年代的な表現を借りれば“リアル”さを強く感じさせるアルバムである。コンプで音圧を稼いだ、ラウドで派手なオルタナティヴ・ロックよりもはるかに“主流の反対側”を行くような本作が270万枚以上のCDセールスを挙げたというのは、当時の“ミスチル現象”を加味しても信じがたいほどだ。その後の「半・ベストアルバム」的な『BOLERO』(‘97)における新曲では、『深海』で見せた攻撃性にデジタルサウンドを融合させた、キャリア屈指の“ハード”なスタイルを提示。これはシングル「ニシエヒガシエ」(‘98)へと引き継がれていく。

 続く『DISCOVERY』(‘99)は、同時代の“洋楽”、“オルタナティヴ・ロック”にバンド史上もっとも接近した、桜井・田原のギターが軸となったバンドアンサンブルを存分に楽しめる作品だ。この頃は制作面で様々な制約から解き放たれ、7分台・9分台の長尺曲も登場し始める。『Q』(‘00)にいたっては、ダーツで曲のテンポを決める、長時間の即興演奏から楽曲を練り上げる……といった自由さで、全体のテーマやゴール等も特に設けず制作が進められたこともあり、多彩な楽曲がひしめく豊穣なアルバムとなった。今作のアートワークに、否応無く『深海』を想起させる潜水士を登場させたのは確信犯だろう。改めて地に足のついた彼らは、ベストアルバムのリリースを経て、「優しい歌」(‘01)を契機にバンドのキャリアを“蘇生”させていった。

Mr.Childrenが『Atomic Heart』で見せた“オルタナティヴ”への助走の画像2
Mr.Children『Q』

 2000年代中盤以降の彼らは、それまでにも増して多くの企業やテレビドラマ、映画とのタイアップ楽曲を手がけていく。この時期の桜井は「歌をどのように届けるか」「ひとつの歌をみんなで繋ぎ、心を繋ぐようなことが起これば」ということを念頭に制作を行っていたという。

 そうして生み出された楽曲は、バンドサウンドにストリングス、ピアノ等がバランスよく溶け合い、桜井の歌の魅力を最大限引き出すことに成功している一方、こうした“整った”サウンドからは、歌を侵食してくるような主張の強さはあまり感じられない。『深海』~『Q』期における、歌とサウンドが渾然一体となり迫ってくる感覚や、誰もが隠す本音や弱みをさらけ出すような赤裸々なメッセージ性を経験したファンからすれば、どこか物足りなさを覚えてしまうという人がいるのもうなづけるところだ。

 もっとも、『深海』~『Q』の以前にも以後にも、桜井はサウンドへの意識をたびたび口にしている。例えば『Versus』(‘93)発売時には「前作『Kind of Love』(‘92)とは異なり、歌だけでなく、ひとつひとつの楽器の音の必然性を考えて作った」「それが他の(同時代の)音楽との差別化要因になるはずだ」という自信に満ちた言葉を残している。近年の『重力と呼吸』(‘18)のインタビューでも、それまでの「歌の物語」「リスナーのそれぞれの生活」を主役に据えた作品づくりから転換し、「バンドの4人が見えてくる音にしたい」との思いで制作した旨を述べている。その思いを引き継いだように『SOUNDTRACKS』(‘20)では『Q』以来20年ぶりに海外レコーディングを敢行し、サム・スミスやU2らを手がけたスティーヴ・フィッツモーリスとの共同作業を経て、引き算の効いた非常に現代的なサウンドデザインをモノにしたのも記憶に新しい。

 また、人の本性や深層心理、狂気に触れるような作風も、特段『深海』~『Q』に限った話ではない。先述の『Versus』には「Another Mind」という名曲があり、2000年代以降も「掌」(‘03)「フェイク」(‘07)「REM」(‘13)など、挙げればキリがないほどだ。

 それでは、なぜ『深海』~『Q』の時期の作品群は今なお私たちを魅了し続けているのか。第1回にあたる本稿では、Mr.Childrenの出世作『Atomic Heart』をリリースした1994年の彼らの制作環境を取り上げ、のちの傑作にして“問題作”とも呼ばれた『深海』に繋がっていく流れを明らかにしたいと思う。

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