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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】Vol.669

“無自覚な自主規制”進むテレビの在り方を問うドキュメント『テレビで会えない芸人』

「6人目のドリフ」と呼ばれた伝説のコメディアン

“無自覚な自主規制”進むテレビの在り方を問うドキュメント『テレビで会えない芸人』の画像4
鹿児島のシンボル・桜島を見上げる松元。公演だけでなく、別の目的もあった

 売れない若手時代はテレビに出ることを強く望んでいた松元ヒロだが、今はテレビに出なくても食べていけることに幸せを感じている。作品の中盤、ナイーブな芸人の心情を理解する上で重要な人物が登場する。松元と同世代のベテランコメディアンである、すわ親治だ。すわは「ザ・ドリフターズ」の付き人を長年務め、ブルース・リーの物真似で超人気番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)にたびたび出演していた。「6人目のドリフ」とも言われたが、正式なメンバーにはなることなく『8時だョ!全員集合』は放送を終えた。

 松元ヒロとすわ親治は、共に鹿児島出身で、鹿児島実業高校の同級生だった。松元がドリフを離れたすわを「ザ・ニュースペーパー」に誘い、「ザ・ニュースペーパー」は黄金期を築いた。苦労を共にした同郷人同士が酒を飲み交わし、本音を語り合う。2人の会話から、真相が見えてくる。人気を得た「ザ・ニュースペーパー」はテレビに出るようになったが、政治家の実名の言い換えをテレビ局側から求められるようになった。スポンサーへの配慮だった。権力者に噛みつく「ザ・ニュースペーパー」の牙が抜かれていくのを、松元は黙っていられなかった。すわも同じ考えだった。2人は同時に「ザ・ニュースペーパー」を辞めることになる。

 2人が飲む焼酎の瓶のラベルには、「不屈不撓」と書かれている。「不屈不撓」は鹿児島実業の校訓だ。売れっ子芸人としてテレビに出続けることよりも、自分の信念を貫くことを2人は選んだ。いかにも薩摩っ子らしい一本気な性格ではないか。明治政府を辞めて、野に下った西郷隆盛のようでもある。

 鹿児島テレビが制作した初の劇場映画となる『テレビで会えない芸人』に、東海テレビの阿武野勝彦氏をプロデューサーとして招いたのは四元監督だった。ドキュメンタリー作品の授賞式などの場で顔を合わせていたことから交流が始まり、四元監督は企画や構成などで悩むと阿武野プロデューサーに助言をもらうという関係性を築いていた。

四元「いろんなところから『テレビで会えない芸人』は評価をいただき、劇場公開しようという声が出たんです。その際にも阿武野さんには相談に乗ってもらい、ドキュメンタリー作品を大切に扱う東京の映画配給会社『東風』を紹介してもらいました。名古屋にある東海テレビのプロデューサーが、鹿児島テレビの作品にプロデューサーとしてクレジットされるなんて異例のことですよね(笑)。『テレビで会えない芸人』はテレビ放送した30分版、60分版、そして81分の劇場版があるんですが、どの作品も阿武野さんの存在が大きかった。阿武野さんの著書『さよならテレビ』(平凡社新書)にも書かれていましたが、『これからはドキュメンタリーに恩返ししていきたい』という考えを阿武野さんは持っているのではないでしょうか」

 牧監督が語ったように、「無自覚な自主規制」はキー局だけでなく、名古屋や鹿児島のローカル局にも及ぶようになってきている。テレビ離れが進む今、スポンサーを失うようなトラブルは避けたい。また、取材対象者を気遣うあまり、深く踏み込まずに取材を済ませたライトな番組が増えてきている。スポンサー、取材先、視聴者からクレームが来ないことを上層部は喜び、若いテレビマンたちはそんな番組づくりを踏襲していくことになる。

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