寺田蘭世は言葉ではなく行動で。苦楽とともにあった乃木坂46の活動を振り返る
#寺田蘭世 #乃木坂46
2021年に結成10周年を迎えた乃木坂46。その1年を振り返ると、草創期からグループを支えてきた1、2期生の卒業が相次ぎ、世代交代を強く感じさせる年でもあった。
乃木坂46を去っていったメンバーたちは、グループや私たちファンに何を遺してくれただろう。このシリーズでは、2021年に卒業した8人のメンバーを順番に取り上げ、その軌跡を改めて振り返りたい。
第7回目は、寺田蘭世。
「センターになりたい」と口にしてきた蘭世
寺田蘭世の卒業は2021年9月、28thシングル『君に叱られた』の特典映像「Documentary of Ranze Terada」予告編の中で発表された。加入前、アイドルは好きだったが乃木坂46を知らなかったという寺田。そんな彼女が約9年もの間、グループのメンバーとして活動できたのはまさに運命だったのではないかとさえ思えてくる。
寺田の卒業によって、最初は12人いた2期生も現在は北野日奈子、新内眞衣(2022年1月末に卒業予定)、鈴木絢音、山崎怜奈の4人となっている。なかなか研究生から昇格することができず、正規メンバーとなってからも全員揃って選抜入りすることは叶わなかった2期生。そんな2期生は“不遇”と呼ばれたこともあったが、寺田はグループにとって大きな意義を持つアンダーにおいて、重要なポジションを担ってきた。
2015年2月に研究生から正規メンバーへと昇格した寺田。その時同時に、昇格したばかりのメンバー6人には、すぐに「ボーダー」という楽曲が与えられる。そこでセンターに抜擢されたのが寺田だった。寺田は自身のブログで、「先輩や同期からのプレッシャーを感じてなにか背負わなきゃいけないという使命を感じていました」と、当時の心境を振り返っている。
これまでのアンダーのセンターは齋藤飛鳥や中元日芽香、樋口日奈など1期生が務めることが多かったが、16thシングル『サヨナラの意味』に収録されているアンダー曲「ブランコ」で初めてアンダーでセンターを経験。加入時から「センターになりたい」と口にしてきた寺田にとって、それは選抜のセンターという形ではないにせよ、ひとつの夢が叶った瞬間だった。
2016年に開催された『Merry Xmas Show 2016~アンダー単独公演~』で座長を務めた寺田が放った言葉で印象的だったのが、「こんな例え方して伝わるかわからないですけど、1+1が2なんて誰が決めたんだって話なんですよ」という言葉。寺田のアンダーへの思い、センターとしての決意が感じられた心に残るスピーチだった。
アンダーセンターを経て、2017年に寺田はターニングポイントを迎える。それは17thシングル『インフルエンサー』での初選抜入りだ。同曲はグループ初となる『第59回日本レコード大賞』を受賞し、寺田はその一員として大きく貢献した。さらに寺田は20thシングル『シンクロニシティ』でも選抜入りを果たし、同年の『第60回日本レコード大賞』受賞と、2度にわたり乃木坂46の歴史に名を刻んだ。どちらも高いダンススキルが求められる曲であるだけに、選抜メンバーにはパフォーマンス力がひとつの基準としてあったはず。アンダーでの活動を通してパフォーマンスに磨きをかけ、さらにはセンターとしての自覚を持った寺田が選抜入りを果たしたのは当然だったのではないだろうか。
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