中山秀征、ダウンタウンとの“確執”真相語る お笑い史のターニングポイントに?
#お笑い #中山秀征 #ダウンタウン
一般人から有名人までさまざまな人物の“街頭インタビュー”を配信しているYouTubeチャンネル『街録ch~あなたの人生、教えて下さい~』。2022年元日には「【前編】中山秀征/17歳でデビューし即ブレイクもお笑い第三世代台頭で陰り/ダウンタウンとの確執…」という動画を公開。タレントの中山秀征が自身の生い立ちや、芸能界デビュー当時について語るとともに、ダウンタウンとの“確執”についても触れている。
1983年に渡辺プロダクションのオーディションに合格し、歌手として所属した中山。1985年には松野大介とともにお笑いコンビ・ABブラザーズを結成し、お笑いタレントとしても活動するようになる。そして、そのときにダウンタウンとの“確執”が生まれたという。
ABブラザーズは結成から間もない頃、フジテレビのネタ番組でダウンタウンと共演することとなった。そこで両コンビともに“野球ネタ”を披露する予定だったが、フジテレビ側の要請でダウンタウンが別のネタを披露することになったというのだ。この出来事が確執を生んだのきっかけのひとつとされているが、今回のインタビュー動画で中山は、もともと学園コントをやろうとしていたものの、フジテレビのプロデューサーの指示で野球ネタをやったこと、当時ABブラザーズはまだ結成して間もない頃で、共演者にネタの変更を頼めるはずがないことを説明していた。
「実際に、ダウンタウンがネタを変更したということはあったようです。ただ、中山さんがいうように、ABブラザーズ本人がダウンタウンにネタの変更を求めたとは考えにくい。制作サイドに何らかの思惑があって、ダウンタウンのネタが変わったのでしょう。そもそもダウンタウンと中山さんはほとんど共演もなく、確執があるというレベルでもないんですよね。若かりし頃のダウンタウンが、中山さんの存在を暗にトークでイジったり、松本さんが著書で中山さんと思しき人物を揶揄したりといったことはありましたが、確執というよりそれほど接点がないといった感じです」(ベテラン芸能記者)
芸歴で言えば、ABブラザーズよりもダウンタウンのほうが先輩である。ネタを変更するにしても、ABブラザーズが変更するのが筋というものだろう。どうして、ダウンタウンのほうが変更したのか。
「まだダウンタウンが本格的に東京進出する前の話で、吉本もいまほど東京のテレビ業界に影響力はなかったわけです。一方、中山さんが所属する渡辺プロダクションは、大手芸能事務所としてテレビ業界で絶大なる存在感を放っていました。ナベプロとしては、大阪からのこのこやってきた吉本に対して、一発マウントをかましてやろうという狙いがあったのかもしれません。先輩後輩関係なく、東京の芸能界で大阪の吉本なんかに思うようにはやらせないぞと、一発クギを刺したということ。ダウンタウンとABブラザーズは、そんな事務所同士のパワーゲームに巻き込まれただけでしょう」(芸能事務所関係社)
このように、東京進出初期に煮え湯を飲まされた経験がダウンタウンの躍進に繋がったとも言われている。
「当時ダウンタウンのプロデューサー的立場だったのが、現在の吉本興業ホールディングス会長である大崎洋氏。東京での扱いの悪さをバネにして、現在の吉本帝国を築き上げたと言えるでしょう。東京進出当時のダウンタウンは、レギュラー番組以外では基本的に他事務所の後輩芸人と絡むことはありませんでしたし、吉本の後輩でも心斎橋2丁目劇場時代から付き合いがあるメンバー以外とはほとんど絡んでいなかった。
ダウンタウンは多くのタレントと仲良くするタイプではなかったがゆえに、いろいろな確執が噂されることも多かったわけですが、逆に孤高の存在としてそのカリスマ性が高まっていったのも事実。そして、そんなダウンタウンが吉本を大きくしていったんですよね。もしも、ABブラザーズとダウンタウンが仲良くやっていたら、ダウンタウンがカリスマになることもなかったかもしれないし、吉本もいまのように大きくなっていなかったかもしれません」(同)
ABブラザーズは1985年に結成してすぐに人気者となったが、ダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの“お笑い第3世代”の台頭もあり、1992年頃にコンビは自然消滅してしまう。ABブラザーズが“お笑い史”の中で語られることは少ないが、あの日のダウンタウンとのエピソードは、お笑い史における重要なターニングポイントだったのだ。
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