『チコちゃんに叱られる!』に『相棒』キャスト大挙登場!? あの5代目候補まで…
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夏目漱石の笑顔を“折れた1000円札”以外で初めて見た
この日最後のテーマは、「なんで日本人は写真を撮るとき笑顔になるの?」という疑問であった。いや、日本人だけじゃなく外国人だって笑顔になるだろうに。それどころか、日本人はむしろ笑顔が少ないような……。兎にも角にも、チコちゃんが発表した正解は「ニコニコ主義があったから」であった。
今の写真撮影は被写体の笑顔を撮ることが多いが、江戸時代末期に撮られた写真を見ると、笑顔でなく真面目な硬い表情の人たちばかりなのだ。写真の技術が伝わってきたのは1854年、ペリーの艦隊が日本に2度目の来航をしたときだと言われている。当時撮られた写真を見ると、誰一人として笑顔の人がいない。この頃、鏡の中でしか自分の姿を見たことがなかった日本人は、写真に自分の姿を写し取られること自体に気後れし、笑って写真を撮られる余裕がなかったのだ。さらにこの時代、男性は公の場でゲラゲラ笑わず威厳を保ち、女性は公の場では口元を押さえて笑うという習慣があった。あと、当時の写真機は光を取り込むまでの露光時間が長く、被写体は約2分間じっとしていなければならなかった。2分も笑顔をキープしていられなかったのだ。
では、人々はいつから笑顔で写真に写り始めたのか? それは、明治時代の終わり頃。当時の日本は、日露戦争に入ったことで多くの人々が亡くなっていた。戦争による不況もあったし、社会主義者が弾圧・処刑された「大逆事件」が起こったのもこの頃だ。世の中がどんどん暗くなる時期であった。
そんな中、明治44年に牧野元次郎は雑誌「ニコニコ」を発刊。この雑誌を見ると、笑顔の写真が多数掲載されているのがわかる。牧野は、編集者やライターたちと「ニコニコ倶楽部」なる組織を結成し、雑誌で「ニコニコ主義」を訴えた。「ニコニコ主義」について、牧野は「世の中のことはすべて ニコニコ的に解決する 平和も成功も皆 このニコニコ主義より 生ずるものと信じる」と綴っている。当時、世界一の先進国だったアメリカは、明るい気分で積極的に働こうという思想「楽天主義」で成功していた。牧野はそれに倣い、暗い空気に包まれる日本を笑顔で明るくしようと「ニコニコ主義」を唱え始めたのだ。
なるほど、とても有意義な運動だ。ただ、どうも「楽天」「ニコニコ」というワードが気になるな……。どことなく漂う三木谷臭。こうなると、「どうして笑顔なのか?」だけでなく「ニコニコという言葉はいつからできたのか?」のほうも知りたくなってきた。
ちなみに、牧野は今の「りそな銀行」につながる「不動貯金銀行」の頭取でもあった。その人脈を活かし、雑誌の影響力を広めるために彼はある戦略をとったという。大物財界人たちに「ニコニコ主義」の賛同を求めたのだ。その1人が、新1万円札の顔にもなる渋沢栄一。現存する写真では真面目な表情が多い渋沢だが、「ニコニコ」には大黒様のような素敵な笑顔の写真が載っていた。他にも、日露戦争の司令官として指揮した陸軍大将・乃木希典のクシャッとした飛び切りの笑顔が載っているし、与謝野晶子もみだれた髪を恥ずかしそうに隠す笑顔が載っている。さらに、あの夏目漱石も唇の端を歪ませたニヒルな笑顔を掲載しているのだ。これは、漱石の生涯で唯一の笑顔の写真だそう。子どもの頃に千円札を折り曲げ漱石の笑顔を作ったものだが、この雑誌があれば紙幣を折り曲げる必要もなし! 「ニコニコ」、すごい!!
牧野はこの雑誌を不動貯金銀行で販売しただけでなく、銀行に一定のお金を預けてくれた人へ無料で配ったそうだ。その後、不動貯金銀行が地方にどんどん増えていく過程で、人々が「ニコニコ」を目にする機会は激増。何しろ、当時日本一の売り上げだった「婦人世界」の発行部数は8万部で、「ニコニコ」は7万部だったのだ。「著名人の笑顔の写真が見られる」ということで、「ニコニコ」は話題の雑誌だった。こうした牧野の行動により、世間に笑顔の写真が広まったと推測できるのだ。
久々にちゃんとした正解VTRだったと思う。感銘を受けた。力のある人が良い思想を持たないと、やっぱりダメなのだ。
ちなみに、今日の『チコちゃん』は2022年1月2日放送の新春90分スペシャル。ゲストは佐藤浩市、菅田将暉、中川大志の3人だ。年末年始も、『チコちゃん』に休みはほとんどなし! 豪華ゲストで1月2日という激戦区に打って出る。
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