宮下かな子と観るキネマのスタアたち28話
『誰も知らない』ドキュメンタリと物語の境界で視聴者に問いかける是枝監督の技術
2021/12/27 18:00
#キネマ旬報 #VOD #宮下かな子
ドキュメンタリーと物語の境界線で監督が問いかける
作品の中で、明が見る街の無数の光や、頭上を通り過ぎていくモノレールの光がキラキラと映し出されます。都会にはこんなにも無数に光の数だけ人がいるのに、彼らを救ってくれる光があるはずなのに、目の前を照らしてはくれない。決して、彼ら傍に光がないわけではないのです。
どこかに子供達を助けてくれる光はなかったものか。そう切に思いますが、直接子供達と接する人物達の中にも、状況を知りながらも特に大事としてない大人たちが登場します。例えば彼らの父親達。母親が帰って来ないこと、お金がないこと、全て分かっているはずなのに、自分の事で精一杯。
そして「警察に届けたらみんなで暮らせなくなるから」と言う明の思いも知った上で、彼らと接する人物もいます。家に遊びに来ていた高校生の紗希(韓英恵)、廃棄物を分けてくれるコンビニの店員等。その手助けは、子供達の心の支えであったり、命を繋ぐ助けであったかもしれないけれど、しかしそれは根本的に解決できるような救いの手ではない。果たしてそれが救いと言えるのだろうか。これも、視聴者に投げかけている是枝監督の問い。私自身もし彼らに遭遇したら、そもそも手を差し伸べられるかどうかさえ……はっきり分かりません。
アスファルトに根を生やす植物のように、環境に適応して繋がれていく、人間の生命力のたくましさと危うさを焼きつけたような『誰も知らない』。ドキュメンタリーを観ているような是枝監督の演出に、映画を観終えてからも、この物語が世の中の延長線上に繋がっているように思えてなりません。是非、ご覧ください。それでは皆さま、良いお年を。
最終更新:2023/02/22 11:33
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
22:20更新
イチオシ記事
山岳民族に残る「嫁さらい」の実情を追う 『霧の中の子どもたち』と日本の非婚化