『ただ悪より救いたまえ』――「007より面白い」という贅沢
#韓国映画 #稲田豊史 #さよならシネマ
見どころは暴力と侠気、以上
『007 NTTD』の大作感を醸している要素のひとつに贅沢な各国行脚、ロケ地の豪華さはあるだろう。同作でボンドが巡る国はイギリス、イタリア、ジャマイカ、キューバ、ノルウェイ、スコットランドなど。かなり多い。まさに観光気分。目は退屈しない。だが、そこで感じるのはシニア向けの「14日間でヨーロッパ8カ国ツアー(添乗員つき)」のごとき目まぐるしさだ。絵葉書のような「絵になる場所」に短時間だけ滞在して、お土産買って「はい次」。各国の情緒なんぞ味わう暇もない。
一方の『ただ悪より救いたまえ』も、韓国、日本、タイと少ないながらも3カ国を行脚するが、中でもバンコクの猥雑さや寒村の寂れた空気感はじっくりと描き込まれる。そこに根を下ろして生活する者の息遣い。むせ返るほどの異国がそこにある。
とはいえ、『ただ悪より救いたまえ』は、映画として当たり前に備わっているべきことを、当たり前に備えているにすぎない。人物設定が魅力的で、その背景や動機が不足なく描かれ、舞台になっている土地の匂いが伝わってくる。何もひねっていない。実に普通。すべきことをしているだけ。それでいて、売りがはっきりしている。「見どころは暴力と侠気、以上」だ。
これすなわち、町中華の奇をてらわないチンジャオロース丼である。「肉と飯を胃にかきこみたい」というシンプルな欲望を満たす、普通でまっとうなメシ。ひねりはいらない。豚肉とピーマンとタケノコを炒めてオイスターソースに絡め、熱々の白米にぶっかける。ただそれでいい。むしろそれがいい。
しかし件の創作ビストロは違う。予算があるのをいいことに、多種多様な食材を組み合わせて多種多様な料理をこしらえた結果、「ボリュームも品数もあるけど、いまいち何を食わせたいのかわからない食事」が供されてしまった。話が込み入っているわりには説明不足、なのに尺がやたら長い(2時間43分)『007 NTTD』そのものだ。
「普通においしいやつ」が食べたいだけ。特別なことは望んでない。こういう町中華のメニューだったら何杯でもおかわりしたい。『ただ悪より救いたまえ』みたいな映画なら何本でも観たい。だが、それは贅沢というものだ。それくらい「普通に面白い映画」が減った。「普通の町中華」も減ったし、「普通に結婚して、普通に子供を産んで、普通に家を買って、普通に幸せになる」も令和の今では贅沢に過ぎる。「普通」が普通に手に入らない時代。
それで言うと、『ただ悪より救いたまえ』の中で唯一「普通」でなかったのは、トランスジェンダーをヒロインに据えたことである。いや、もしかすると近い未来の「普通」を先取りしていたのかもしれないが。
『ただ悪より救いたまえ』
12月24日(金)よりシネマート新宿、グランドシネマサンシャイン 池袋ほか全国ロードショー
監督/脚本:ホン・ウォンチャン 『チェイサー』『哀しき獣』(脚本)
出演:ファン・ジョンミン『ベテラン』、イ・ジョンジェ『新しき世界』、パク・ジョンミン『それだけが、僕の世界』
2020年/韓国/韓国語ほか/シネスコ/カラー/108分 提供:ツイン、Hulu 配給:ツイン 宣伝:スキップ PG-12
公式サイト:tadaaku.com
ⓒ 2020 CJ ENM CORPORATION, HIVE MEDIA CORP. ALL RIGHTS RESERVED
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事