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上野千鶴子、美人“差別”をバッサリ「そんな権利アンタたちにはないよ」
次はポスト。セクハラが男たちを追い詰めているのではないか。下心があるわけではなく、誉め言葉として、職場の女性に「きれいだね」というだけでセクハラになるのでは、何もいえなくなる。
私が現代編集長時代は、ヘア・ヌードのグラビアのゲラをアルバイトの女性にそのまま渡し、「校閲へもっていって」といっていた。
これなんか今やれば明らかな大セクハラだろう。だが、そんなことを考えていたら仕事はできない。
最近の行き過ぎとも思えるセクハラ攻撃は、私には全く理解できないのだ。
そこでポストは、あの上野千鶴子に、美人発言の問題点について率直にぶつけている。週刊誌はこういう素朴な疑問に立ち向かわなくてはいけない。
上野はこういう。
「近年、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が登場しました。この“イズム”というのは、セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)などの言葉にも使われているように、“差別”という意味です。ルッキズム(外見差別)という新しい概念の言葉が登場し、イズムがついているということは、外見についてとやかく言うのは差別であり、“やってはいけないこと”に認定されたということです。それは“褒める”という行為でも同じこと。
例えば妻やガールフレンドと一緒に歩いている男が、前から来る別の女を見て、『お、美人だな』とか、『お、ブスだな』とか何気なく言ったりするでしょ。
その瞬間に、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快ですよね。男というのは、そうやって女をランキングする権力が自分であると無邪気にかつ傲慢に信じているのです。それが近年になってやっと『そんな権利アンタたちにはないよ』ということが浮かび上がってきた」
ポストは食い下がる。それでは男に「イケメン」というのも問題視されるべきではないか。
「よくある反論ですが(苦笑)、女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。例えばイケメンじゃなくたって、学歴とか地位とか、そういった尺度が男にはある。男子の尺度の中で一番強力なのが金力(稼得力)であり、イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。
つまり男女のランクオーダーは非対称ですから、『女だって同じことをやっているだろ』とはなりません」
私は、もしオレがイケメンだったら、もっといい人生を送れていたのにと思うのだが。
上野はこう続ける。
「私は社会の変革というのは、本音の変化ではなく建前の変化が重要だと思っています。オジサンの下心とか、人間の卑劣さというのはいつの時代もどこにだって存在するけれど、少なくとも公共の場でそういうことを言ったら地雷を踏むということは肝に銘じてほしい。 男は時代の変化に合わせて自分をアップデートしなければ、自分が不利益を被ることになります」
だが、そうなれば男女間のコミュニケーションがとりづらくなるのでは?
「若い女の子たちからも、そういうことはしょっちゅう言われます。バイト先などでおニイさんやオジサンたちが口を聞くのに神経を使って、職場がピリピリしてしまう、とか。
でも、もし彼らが神経を使わなくなったら何が起きるのか。オジサンたちからすれ違いざまにお尻や胸を触られるなんてことがずっと続くことになります。そんな職場で女性は働きたいと思いますか?
89年に『セクハラ』が流行語大賞になった時に男性週刊誌は堂々と、“セクハラは職場の潤滑油” “(だからなくなったら)職場がギスギスする”みたいな記事を載せていました。『週刊ポスト』にもあったはずです(笑)。それに比べれば、セクハラがアウトになったのは大きな進歩。気を使って職場がピリピリするくらいが、ちょうどいいんです」
セクハラの神、否、セクハラ撲滅の先駆者のいい分だが、私のような頑迷固陋の女性崇拝者は、何とも理解しがたい、受け入れがたい上野先生のお話である。
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