日大・田中前理事長復帰の“シナリオ”と文科省「日大再建」の本気度
#週刊誌スクープ大賞
長嶋一茂、父・茂雄と絶縁状態になったある“確執”
ところで、20歳になった愛子さんの写真を見て驚いた。
お年頃だから痩せてスマートになったこともあるが、目元から鼻にかけて母親の雅子さんにそっくりになってきた。
子どもの頃の不登校になっていた愛子ちゃんとは別人ではないかと思ったほどだ。
これでますます「愛子天皇待望論」が大きくなるだろう。そうなってほしいと思わせる何かがこの人にはある。
それとは対照的に、長女眞子さんが去って、メディアのバッシングがますます激しくなってきたのが秋篠宮家である。
中でも、実家では「オールウェイズ・スマイル」だった紀子さんが、あの素晴らしい微笑みを失い、夫・秋篠宮との仲もややギクシャクしていると、文春が報じている。
また新潮は、本来ならば、誕生日当日になる愛子さんの成年会見が来年3月中旬になったのは、小室圭の問題があったからだと報じている。
「1月はそもそも皇室行事が目白押しですが、2月に陛下のお誕生日と近づけて会見なされば、お祝いムードも高まるはず。
実は、小室さんの司法試験“再チャレンジ”の受験日が、ちょうど陛下のお誕生日の前後なのです。結果発表は先とはいえ、試験の前後は再びメディアが“小室さん一色”に染まる。また同じ頃、悠仁さまの進学先も明らかになる見通しで、それ次第では秋篠宮家へのネガティブな報道が再燃しないとも限りません。こうした状況下では“落ち着いてご回答を考える”など不可能。それらも勘案し、3月中旬になったのです」(さる宮内庁関係者)
やや牽強付会だと思うが、何につけても悪いのはあの小室圭だと、ヒールのイメージを守りたいようだ。
2月の再試験に合格しなかったら、どうなるのだろうか。
さて、今週一番の読み物は、この長嶋一茂の記事だった。月刊誌『ゲーテ』に、「…。ハワイに行けないから…書いてみた。」という連載エッセイを持っているそうだ。
その第9回で「父との思い出」と題してこのように書いている。
<父とは、もう13年会っていない。
「お父様はお元気ですか?」と聞かれることも多いが、ずっと「父は変わらず元気です」という返事を繰り返してきた。会っていないというと話が長くなりそうで、面倒臭くなりそうで…嘘をついてきた>
<以前は実家に電話もした手紙も出した…。娘達も写真つきハガキを出したりしたが、残念ながら本人からの返事はなかった…>
<生きているうちに父と会うことは、もう二度とないだろう>
一茂と父親、妹の三奈との不仲は以前から有名だった。
だが一茂が自ら、それに触れたことはなかったと思う。
12月3日に長嶋は文化勲章の親授式に臨んでいた。車椅子に乗る長嶋には、次女の三奈が付き添い、長嶋はこうコメントを発表した。
「ファンあってのプロ野球なので、もっと一生懸命頑張っていきたい」
野球界というよりも、日本の戦後を明るく照らし出してくれたスーパースターといったほうがいいだろう。
家庭人としては素晴らしいとはいえないだろうが、まぶしすぎる野球人としての父親に、息子はコンプレックスを持ち続けたのではないだろうか。
一切を仕切っていた母親の亜希子が64歳の若さで亡くなり、その後、「長嶋茂雄」という商標登録を巡って、父親と三奈、一茂は対立してしまうが、当然ながら勝ったのは父と妹であった。
その父親が脳梗塞で倒れてしまう。その後、一茂は長嶋のトロフィーや天覧試合の写真など、長嶋ゆかりのグッズを福井県のコレクターに売却してしまうのだ。
その中には母親のパスポートや衣類などもあったという。
このことが決定的な父と妹との関係悪化になってしまった。
それはそうだろう。風水か何かでいわれたといっても、父親の宝物を売り払ってしまうというのは、理解しがたい。
その後一茂は重度のうつになり、死のうと思ったこともあったという。
その後努力して、コメンテーターなどもできるようになったが、父親との関係修復はできないままである。
子どもは親を超えることはできない。それが長嶋のような存在では、手の届くどころではない。
鬱屈した感情が一茂にあったことは理解できる。だが、それと、父親の汗と涙がしみ込んだものを売り払ってしまうこととは全く別である。
ときどき、朝のワイドショーで一茂のしゃべっていることを聞くことがある。意外にまともだが、その裏には、父親に対する複雑な感情が渦巻いているのだろう。
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