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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 『ディア・ドクター』人の心を描く西川美和作品
キネマのスタアたち27話

『ディア・ドクター』善と悪の二元論で捉えきれない人の心を描く西川美和作品

嘘を隠しながら笑顔を見せる医師を演じる笑福亭鶴瓶

〈あらすじ〉
 人口1500人中半分が高齢者の小さな村。村の人々に慕われている唯一の医師、伊野先生(笑福亭鶴瓶)が突如失踪した。事件を調べていくうちに、伊野先生の秘密が明らかになっていって……。

 冒頭、蛙や虫の鳴き声がする真っ暗な田舎道に、自転車ライトが1つ灯っている。まあるいその灯りと真っ白な白衣が、ゆっくりと坂を下っていくこのオープニングの映像がとても美しくて、伊野先生という医師がこの村を照らす存在であるという意図かと思いきや、その自転車に乗っていたのは、伊野先生ではなく村の住人であった。拍子抜けするような気分でしたが、後にこの冒頭の意味を知ることとなります。

 西川監督の映画には、無駄なものが一切ない。暗闇に光る月も、裏返ってジタバタする虫も、溶けたアイスも。全てのシーンに意味があり、しかし多くは語らない。視聴者へ身を委ねるような、そんな西川監督の作品が私は好きです。

 村唯一の医師である伊野先生はとても朗らかで、患者に親身に対応する医師。院に来れない高齢者がいれば訪問診察をし、患者の声に耳を傾け、多くの人に慕われています。演じる笑福亭鶴瓶さんが本当に適役で、登場シーンの「伊野でございます」とニカッと笑みを浮かべるアップに、安心感を覚えてしまう。こんな先生がいたら、身体が悪くなくても通ってしまいそうです。

 鶴瓶さんは脚本を読まずに現場に来ていたそうですが、画面にうつる伊野先生は、鶴瓶さん自身が持つ柔らかさもありながら、しかしそこにいるのは鶴瓶さんではなくて。得体の知れない底力みたいなものを感じます。鶴瓶さん恐るべし。

 親切な診察で村の人たちに神様のように扱われている伊野先生を見て、研修で来ていた相馬啓介(瑛太)も、春からもこの村で働きたいと伊野を慕う。しかしながら伊野先生、実は大きな大きな嘘をついているのです。

 その嘘は、失踪事件を追う刑事(松重豊・岩松了)によって明らかにされていくのですが、ふと見せる伊野先生の表情からも伺えます。例えば、ある重症患者が夜に緊急で飛び込んできた時、処置の決断をするか否かという緊迫の場面。額に汗が滲み、余貴美子さん演じる看護師大竹朱美の言葉に促されるまま、針を手に持つ伊野先生。逃げ場のない状況での目の泳ぎ方、チラリと大竹を見る表情のリアル感が凄い。嘘がほんの少しだけ隠しきれずに垣間見えてしまった感じがするんです、ごく自然なお芝居で。

 後にこの患者が大きな病院に搬送され、伊野先生が廊下で手術を待つ場面があるのですが、この時の揺れ動く表情の凄さもさることながら、西川監督の神懸かった演出の連続に驚かされます。西川監督の作品には、重要な場面で音楽や環境音を一切排除する手法が使われるのですが、この場面がまさにそう。嘘を隠している伊野先生が、その重荷に耐えきれなくなって逃げ出そうとするその心の葛藤、動悸の速さが伝わってくるよう。そして重要な場面こそ、人物の表情を正面から撮らないのも西川監督の特徴なのですが、これまたこの場面で、窓の外を見つめる伊野先生の後ろ姿だったり、下に降りるエレベーターに向かう足元だけ映されていたり。その背中に背負っているものの重さが、ずっしりと感じられるのです。合間に挟まれる空っぽのエレベーターのみのカットは、恐怖映像にすら感じます。主人公の心情と重なる臨場感に、思わず鳥肌が立ちました。

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