TARO SOUL、生粋のブランニューソウル男が到達した“あるべき”姿
#インタビュー
確かな手応えを感じたTARO SOULの新章
――誤解を恐れずに言えば、これまでのTARO SOULのスタイルを踏まえれば、「ここまでできるぜ!?」といったセルフボースティングが、良い意味でも悪い意味でも半ばおなかいっぱいという側面がありました。しかし、四十路を迎え、家族を守る父親としての変化、そしてSHIMIとの化学反応もあり、今作では「かっこつけすぎなくてもかっこいいTARO SOUL」を感じることができたんですよね。
TARO かっこつけてしまうのも……一種の照れ隠しではあるんですけど、SHIMIの引き算を受け入れられたのは、信頼関係をしっかり築けてた証拠なのかなって。
――ただ、かっこつけなくちゃいけない面には、TARO SOULが08年にメジャーデビューをした際に、今のようにヒップホップ・アーティストの弾数が揃っていなかったから、というのも要因のひとつだったんじゃないかなと思います。
TARO そこまで強い使命感を背負っていたわけじゃないけど、やるからにはそんな野心を抱いていたのは間違いないです。ただ、結果も出せず、僕の手では何もすることができなかった。でも、今ここまでデカくなったヒップホップを見て、「俺は(シーンを)大きくできなかったから、自分の中のヒップホップをアップデートする必要はなくなった」とはならない。年齢は重ねるけど、アップデートをし続けながら活動することが大事なんじゃないかと思うんです。
自分の名前に“SOUL(ソウル)”と付けていることにも自覚的な年齢になったというか、ソウルシンガーのように死ぬまで歌い続けられるアーティストでありたいと思うようになった。こういう考え方は、ヒップホップ的なマインドからしたら潔くないかもしれないけど、やっぱり若い世代と同じような最先端のスタイルを形にしていくことには無理がある。だったら一生歌っていける選択をするし、50歳になったとしても自分のアートフォームを追求していくことのほうがフレッシュなんだよ! という姿を見せていきたい。何歳になっても人生を輝かせることはできますからね。
SHIMI なんでもできちゃったからこそ不器用な面もあったと思うんですよね、タロちゃん。昔からアドリブやフェイクは無限に出てくるし、エンジニアとしてはそうした尾ひれの処理が大変でした……というか、むしろいらないくらいです(笑)。
TARO ちょ、ソウルシンガーとしてその部分を伸ばしていこうと思ってたのに!
SHIMI いや、今回のレコーディング作品ではやりすぎないほうがいいかなって。ライブパフォーマンスのときは全然問題ないよ!
TARO アルバムを作り終えて改めて感じたことなんですが……やっぱり「歌われたい」という欲求がどんどん高まってきてるんですよね。それとは裏腹に「ラップスタア誕生」(ABEMA)とか見ちゃうと、「う、うめえなこいつ!」って血も騒ぐ。ただ、今はその気持ちの住み分けができているというか、TARO SOULでのソロ、TARO SOUL & KEN THE 390やSUPER SONICSでの活動、それぞれでやるべきことが見つかっている。なので、今後は良いバランスで楽曲を制作していけたらと思っています。
[プロフィール]
TARO SOUL(たろう・そうる)
1981年、神奈川県藤沢市生まれ。幼少期からマイケル・ジャクソンやジェームス・ブラウンなどを聴いて育ち、ボビー・ブラウンでブラックミュージックに開花。ラップとボーカルを自在に操り、TARO SOULとしてのソロ活動のほかにも〈TARO SOUL & KEN THE 390〉や、DJ IZOHとの〈SUPER SONICS〉としても幅広く活躍。
Twitter〈@https://twitter.com/TAROSOUL〉
Instagram〈https://www.instagram.com/tarosoul〉
SHIMI(しみ)
1981年、山口県岩国市生まれ。SHIGE、CHIVAと3人のトラックメイカー集団〈BUZZER BEATS〉のメンバーであり、プロデューサー/レコーディング・エンジニアとして活躍。TARO SOULやRHYMESTER、PUSHIMなど、ジャンルを問わない高水準のトラックメイキングで絶対的な支持を得ている。
Twitter〈@https://twitter.com/shimi_bb〉
Instagram〈https://www.instagram.com/shimi_bb〉
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