「カンボジアで強まる独裁」フン・セン首相は日本の安倍元首相を例にあげ批判回避
#カンボジア
威圧的な父親フン・セン首相とは対照的なフン・マネット氏
筆者は16年8月、カンボジアの首都プノンペンでフン・マネット氏と対談した。現役の将軍でフン・セン氏の長男であるから、威圧的な人物を想像していた。しかし、流ちょうでソフト、時にウィットも交える英語の語り。洗練された立ち振る舞いはアメリカ東部のエリートをも彷彿させた。
相手が聞いているかいないかに関係なく、一方的にまくしたてるように喋るフン・セン首相と違い、フン・マネット氏は相手の発言を遮ることなく、いったんはじっくりと聞く。その上で、自分の意見をゆっくりと理路整然と話した。父親と正反対のイメージを意図的に自ら演出しているのでは、といぶかってしまった程だ。
しかし、対談中も後継問題への言及はなく、自らが司令官を務めるカンボジア国家テロ対策特殊部隊の取組や将来を見据えたIT人材の育成などを熱心に話した。
常に、フン・セン氏の後継と目され注目を集めてきたフン・マネット氏だが、後継としての自らへの言及は極力避けてきた。
少々、古い話になるが15年10月、オーストラリアのABCニュースが行ったインタビューで「将来、首相の座を目指すのか?」と聞かれると、フン・マネット氏は「カンボジアは多党制民主主義国家だ。憲法では、5年ごとに選挙を行うことになっている。だから、誰がいつリーダーになるかという選択、決定はカンボジアの人々に委ねられている」と明言を避けている。
脅威となる野党勢力を根絶やしにしてきた父親のフン・セン首相
仮に将来、首相の座を目指すにしてもあくまで「民意を尊重した上で」とするフン・マネット氏。しかし、ここ10年、カンボジアで起きていることは、民主主義の根幹である民意を完全に無視するフン・セン首相のなりふり構わない独裁体制の強化だ。
13年に行われたカンボジア国民議会選挙(5年ごとに実施)で、フン・セン首相率いるカンボジア人民党(人民党)は過半数を上回る68議席(下院・議会定数123)を獲得し政権を維持したが、前回の90議席から大幅に議席を減らした。一方の野党、カンボジア救国党(救国党)は26議席増の55議席と大躍進した。
次の選挙の結果次第では政権交代の可能性も出てきたことにフン・セン首相と人民党は危機感を抱き、露骨なまでに救国党を壊滅させるように動いた。
17年9月、救国党党首のケム・ソカー氏を米国など海外勢力と共謀して、国家転覆を図ろうとしたとして国家反逆罪の容疑で逮捕した。同年11月にはカンボジア最高裁はこの容疑に救国党も党ぐるみで関与していたとして党の解散を命じた。
最大野党不在の中で、翌18年7月、カンボジア国民議会選挙(下院・議会定数125)が行われたが、フン・セン首相率いる人民党が全125議席を獲得した。人民党は同年2月に行われた上院選でも58ある改選議席の全てを確保しており、カンボジア上下両院の全てを掌握したので、フン・セン首相は野党勢力がない完全な独裁体制を確立した。
70年代後半のポル・ポト政権下の大量虐殺の影響で、カンボジアの平均年齢は約26歳と若い。米国のシンクタンク「外交問題評議会(CFR)」の18年12月のレポートによれば、同国の人口の約3分の2は、30歳以下という。これらの若者は、彼らの両親や祖父母の多くとは異なり、ポル・ポト時代からカンボジアを救ってくれたフン・セン首相に恩義を感じていないのだという。それよりも、カンボジアの発展がいかに遅れているかということに関心が向いている。
ゆえに、「ポル・ポト政権を倒した」、「国民を大量虐殺から救った」とフン・セン首相と与党・人民党幹部らがアピールしたところで、人口の3分の2を占めるこの世代には響かない。逆に、都市部の若年層は、権力と利権を一族の手に集中させるフン・セン首相と、長年にわたり同じメンバーが要職を占める与党人民党に批判的な目を向ける。
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